2022/2/7 8:31

葛西のあの豪快技を受けた強者!元AKBも大ファン!竹田誠志特集

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葛西のあの豪快技を受けた強者!元AKBも大ファン!竹田誠志特集
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当面の間、レスラー活動は休止に。


 1月の最初に、葛西純選手のドキュメントを手掛けさせてもらったことを、当欄でも告知させていただいたが(BSフジ『反骨のプロレス魂』。1月8日放送)、同プログラムは、2009年11月20日の、葛西vs伊東竜二を中心に構成。なので、その制作過程で、当然、同一戦で葛西選手が披露した、後楽園ホールでのバルコニーダイブの話になった。「現在は、バルコニーダイブは後楽園ホール側の意向で禁止されてるんですよね」(※因みに新木場1stリングでも。)という情報も伝えたのだが、それではと、気になることがあった。葛西が最後に、後楽園ホールからのバルコニーダイブを行ったのは、いつ、誰との試合だったのか。実は筆者も確証がないことを最初にお断りしておくが、少なくとも後楽園ホールのシングルのメインで最後に披露したのは、2013年8月29日だったと思う。なお、それ以前だと、2011年12月の石川修司戦なのだが、伊東、石川と、論を待たずの猛者ばかり。イコール、この日の相手も、それにふさわしい相手だった。竹田誠志だったのだ。

 デスマッチ新世代の旗手として認知され、クレイジー・キッドの異名を持つその竹田の、当面の間のレスラー活動休止が1月30日、発表された。理由は本人のTwitterにあるよう、配偶者の永眠。仲間達からも、いたわりや励ましの声が上がっており、666では応援グッズの発売を発表など(※売上全額を本人に譲渡)、その輪は広がっている。

 今回の当欄は、プロレスラー・竹田誠志特集としてお送りしたい。

意外な格闘遍歴。


 1985年、東京都町田市出身。意外なことに幼少期からの喘息持ちだったが、性格は元気そのもの。巷間、本人が語るところでは、コンピューターゲームで負けた腹いせにタンスに自分の頭をぶつけたり、回る自転車の車輪に、「ここに足を突っ込んだらどうなるだろう?」と実践し、足を負傷したり……。どうにも、危険なことに興味がある性向だった模様。実は中学3年生時、友人2人とトリオでお笑い芸人を目指したのだが、コンテストに出場すると、全くウケずに頓挫。だが、同じ時期、運命的な出会いをする。時はPRIDEが勢いを増してきた2000年。友人宅で格闘技やプロレスのビデオでも観ようということになった。すると、友人の1人が言う。「この間、レンタルビデオ屋で、ヤバいパッケージの、観た」「おお、それ、なんだ。借りに行こう」。それが大日本プロレスのビデオだったのである。この時のビデオの内実については、(大日本プロレスの)旗揚げ戦のビデオという説があるのだが、もろもろ確認すると、「中牧(昭二)さんや(グレート)小鹿さんがズタズタになってて、『血みどろ、極道(小鹿)社長』みたくあって……」(竹田)という発言がある。旗揚げ戦のビデオ・パッケージは、あくまで当時のエースのケンドー・ナガサキ選手が主体なので、筆者としては、1997年12月開催の『皆殺しの棺桶 地獄の墓場デスマッチ』のビデオのことだと思うのだが……。いずれにせよ、この出来事が、竹田を覚醒させた。「こんなプロレスがあるのか!」それまでもプロレスは専門誌を購入するほど好きだったが、以降は、それまで飛ばしていたデスマッチ関連の記事を精読。特に葛西純には、心酔するほどの魅力を覚えた。言うに及ばず、プロレスラーへの夢が頭をもたげ、高校は東京都目黒区の自由が丘学園へ。都内では珍しく、レスリング部がある高校だったのだ。ご多分に漏れず、プロレスラーを目指す若者も多く、この時の後輩の1人が、後にみちのくプロレスでデビューするフジタ“Jr”ハヤト。とはいえ、竹田は竹田で、デスマッチ愛一辺倒。友人と、机上に画鋲を置いての腕相撲対決をしたり、ホチキスを体に打ったり……。なお、フジタ選手によると、「(当時の竹田先輩は)公園で、蛍光灯を頭で割っていた」そう。理由を問うと、こう答えたそうだ。「将来のための練習」。高校3年時には、学園祭のクラスの出し物で、何故か『デスマッチ凶器展示会』を開催。理由は単純で、この時の担任も、大のプロレス好きだったのである。しかし、果たして卒業後の進路をその担任に相談した時、竹田は言われる。「お前、大日本だけはやめておけ。親だって、お前が怪我するところを見たくないはずだ」。聞き入れ、1年、料理の専門学校に通い、資格を獲る傍ら、近所に出来たジムに日参。こちらこそ、『U-FILE CAMP』。ご存じ、元UWFの田村潔司が立ち上げたジムであり、竹田はメキメキ、セミプロ格闘家として頭角を現す。なにせ高校時代はアマレスでインター杯に2度出場。「出てみない?」と言われた格闘技イベント『ZST』では9勝3敗1分け(※2014年までの戦績)。

 そう、竹田は、一度決めたら何事にも全力で取り組むタイプだったのだ。

デスマッチ愛に、再び着火


『DEEP』のフューチャートーナメントや、パンクラスのネオブラッドトーナメントにも出場。戦績も良かったが、プロレス好きは隠しようもない。『『U-FILE CAMP』の田村和宏が、声をかけてきた。「俺たちでプロレス、やらない?」こちらがいわゆる『STYLE-E』。2007年1月にデビューすると、アマレスを基底にしたマットさばきに美しいジャーマン・スープレックス等、その素養に注目が集まり、もろもろのインディーから声がかかるようになっていった。うち一つ、『MAKEHEN』(橋本友彦主宰)に呼ばれた際、大日本プロレスの面々も同舟。実は忘れかけていたデスマッチ好きの情熱が、再び着火した。すかさず、李日韓レフェリーに出場をアピールし、テストマッチを経て、ハードコア・マッチ参戦へ。2008年5月23日、星野勘九郎と組み、MASADA&クレイグと対戦。派手な暴れっぷりで、一気に注目の的に。その日、帰宅すると、額についた傷を鏡で見て、思ったという。

(いずれは、この傷が、『川』の字のように、深く刻まれるんだな!)

 そう考えると、嬉しくてしょうがなかったという。生来のデスマッチ好きに、嘘はなかったのだ。

葛西のマイクを上回った強烈アピール。


 以降、大日本、及びフリーダムズを主戦場にしてきた竹田。そのデスマッチ愛を語るマイクにも事欠かない。2009年、大日本の『最侠タッグリーグ』に木高イサミとのタッグで参戦すると、「人生、大日本に賭けてます!」(3月12日)、鮮血ほとばしるハードファイトでリーグ優勝を果たした3月26日には、「これが俺らのデスマッチへの気持ちだよ!俺はデスマッチを愛してます!」2011年、大日本プロレスによる『マクベス』公演時には、大日本生え抜きの若手たちに、一席ぶった。「何でデスマッチをやらないんだ!?」これに呼応し、名乗りを挙げた塚本拓海を2012年12月、一騎討ちで血の海に沈めると、「俺はお前とは比べ物にならないくらい、デスマッチが好きだ!だから塚本、デスマッチを好きになれ!血が大好きになれ!血を流すのが趣味となれ!」と、熱く、赤いエールを贈った。なお、プロレス好きで知られる元AKBの倉持明日香も、特に近年は竹田がお気に入りの選手の1人である。

 その竹田の宿願が叶ったのは、意外に早かった。2008年10月10日、葛西純と初シングル。先にリングインし、葛西を待つその入場時、感激が止まらなかったという。料理の専門学校時代も、携帯の待ち受けを葛西の写真にしていた竹田。実は『ZST』参戦時、その尊敬から、葛西の入場テーマを、自分のそれに借用していた。その同じ曲で、葛西本人を待ち受ける構図に、震えが止まらなかったという。試合は惜敗も、これほどのデスマッチ愛に溢れた男を葛西が見逃す筈はない。2人はライバルに。そして冒頭の2013年8月29日の後楽園ホール大会に話は戻る。この日は葛西純プロデュースでお馴染み、『デスマッチトーナメント』が開催。そのメイン、つまり、トーナメントの決勝で、2人が対戦したのだ。葛西がバルコニーダイブを見せたのは、先述の通り。だが、試合は竹田が勝利。葛西はマイクで言った。

「俺っちに憧れたお前が大好きだ!でも!でも!でも!俺っちは竹田誠志より、デスマッチが大好きなんだ!だからまだまだ、竹田誠志イコール、デスマッチにはさせねえ!俺っちが滅びるとともに、デスマッチも滅びるんだよ!」

 竹田も応えた。

「葛西純が辞めたらデスマッチが滅びる?ふざけんじぇねえよ!デスマッチが滅びる?それは俺が引退するまで言わせねえぞ!」

 竹田の、デスマッチ観を表した言葉がある。

「デスマッチを初めて見に来た人にも、どれだけ血を流してボロボロになっても、立って歩いて控室まで帰っていく、生きる力みたいなものを感じてもらえたらうれしいですね」(『サイゾー』2016年11月号)

 今は心身を休める時。リングに戻ってくる日を待っている。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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