2021/8/21 14:01

全日唯一の元日大会は異種格闘技戦!おとそ気分皆無のあの人気外国人選手!来年、ノアの日本武道館大会決定!元日興行特集!

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2022年1月1日、ノアが日本武道館大会を開催!


 少し前、初代タイガーマスクのデビュー40周年を記念した書籍をお手伝いさせて頂いたのだが、1980年代のブーム時、同選手はまさにスーパーヒーロー。一般紙誌はおろか、子供向け書籍にもよく登場していた。しかし、それらを読んだところで、正体不明が基本路線のマスクマンでもあるし、なかなか人となりまではわからなかったというのが正直なところ。ところが、ひょんなことから、『好きなシンガー』がわかる出来事があった。ある日の『ワールドプロレスリング』の放送で、リングサイド・レポートとして、来場した女性歌手がインタビューされていたのだ。

「そうですね。私、(生で)プロレスを観るのは初めてなんですが、(タイガーは)よくコンサートも観に来てくれますので……」。

 喋りの主は、“チーター”こと、水前寺清子。あの『365歩のマーチ』を始めとする、演歌歌手である。今でこそ、素顔の佐山聡が武士道含め、純日本的なものに傾注している人物なことが知られているだけに、それほどの不思議はないのだが、当時はその素性含め、一切が謎。そのため、当時、テレビで観ていた筆者は、「えぇ!?」と驚いたものである。なにせ、その4ヵ月後、怪我で欠場し、解説席に陣取った初代タイガーに対する古舘伊知郎アナウンサーのコメントが以下である。「タイガーさんは、英語とスペイン語しか喋れないということで解説は無理なのですが、一緒に試合をご覧頂きます」。そして、隣ではそれを受け、無言でカメラに向かい両手を合わせ、謝るそぶりのタイガーマスクが(よくよく考えたら、その古舘の言葉がわかっている時点で日本語が理解出来ているわけだが)。後にその古舘アナが、「チーターとタイガー、同じネコ科ですからね。通じるものがあったのでしょう」と雑誌のコラムに書いていたのは笑ってしまったが、タイガー自身が大ファンである水前寺清子のリングサイド招待、並びにインタビューへの登場は、その日の全体的な祝賀ムードもあったかも知れない。実はこれ、日本マット初の、元日興行でのことだったのである(1982年・後楽園ホール)

 Twitterでも予想キャンペーンを張り、話題となっていたプロレスリングノアの『シン・大発表』が、8月15日の神奈川大会で遂に明かされた。2022年1月1日の、日本武道館興行が布告されたのだ。「会場関連の、良い発表では?」という噂は飛び交っており、筆者自身、球場レベルやアリーナクラスの使用かと予想していたのだが、武道館興行に、まさかの日付。今年2月の同団体の日本武道館大会が、関係者筋や武道館サイドからも大好評に終わったことが、今回に決定に好影響を与えたと言ったところだろう。

 さて、この元日興行、プロレス界にはよくあるように見えて、実は事例の多くはない打ち出し。これが大成功すれば、大袈裟でなく、新日本プロレスの『1・4東京ドーム』同様、恒例化する可能性もあろう。

 今回の当欄はその期待と展望も込めて、元日興行特集としてお送りしたい。

初の元日決戦は、鳴り物入りの特別興行!


 先ず、日本マット界初の元日興行と言えば、前出のように1982年の新日本プロレス・後楽園ホール大会。きっかけはこの日が金曜日だったこと。当時の毎週金曜夜8時のテレビの人気プログラムと言えば、『ワールドプロレスリング』。前年4月に初代タイガーマスクもデビューしており、人気はウナギ昇り。つまり、放っておいてもレギュラーで試合が放送されていた可能性はある。だが、正月三が日のテレビ業界はご存じのように、特番編成が常態化。ゆえに『ワールドプロレスリング』にも夜7時から2時間の特別枠が確保された。この時期のプロデューサーだったK氏や、あとはフロントの要人だった新間寿氏に、以下のように聞いたことがある。「『ワールドプロレスリング』が、『水曜スペシャル』(※水曜午後7時半から約90分の特番枠)で放映された時の放送権料は3000万円(※現在の貨幣価値で4000万円ほど)」。ゆえに元日の、しかも2時間枠であれば、極めて多額の放送権料が保証されたことであろう。新日本側もこれに応えた。この元日のために単独興行を催したのである。それも、外国人メンバーは、初代タイガーの好敵手、ダイナマイト・キッドに、現役のWWF(現WWE)世界ヘビー級王者、ボブ・バックランド、若いファンでも名前は聞いたことがある方が多いだろう“プロレスの神様”、カール・ゴッチに、猪木に1978年、地元の西ドイツで勝利しているローランド・ボックと粒揃い。通常のシリーズは7日後の1月8日に開幕で、引き続き参加したのはキッドと、開幕戦のみ参加のゴッチだけだったので、まさにこの日のための、スペシャルな陣容となった。

 さて、『新春スーパー・ファイト』と銘打たれたこの大会。当日の録画を見直すと、新日本側もテレビ朝日も気合が入りまくり。当然、生放送であり、出だしの『新春プロレススペシャル』の文字に続き、『初の元日決戦 これがSTRONG STYLE!!』のテロップ。CMが開けると、リングサイドにいた猪木へのインタビューから、リング上に、敵対勢力のはぐれ国際軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)や外国人も含めた主要選手が登場。国際軍がいたためか、こちらに猪木は参加せず、代表しての新年の挨拶は、それこそ前述の新間寿がマイクで敢行。「なぜ、本隊の全選手じゃないのだろう?」と思えば、サプライズが待っていた。リング上の選手によるサインボール投げが行われたのだ。以前、『アメトーーク!』のプロレス特集でも扱われた、超剛速球で客席にサインボールを投げ込むダイナマイト・キッドが観られるのは、この時の放送である。おとそ気分皆無のプロ気質だったということになる。その後は、藤原喜明とのエキシビジョンマッチを、御年57歳のカール・ゴッチがジャーマンスープレックスで決め、長州力vsアニマル浜口の初シングルでは、長州が自身初となるラリアットを披露!後に続く『リキラリアット』の原型となるわけだが、この時の長州が炸裂後、痛そうに腕を押さえていたのも、初使用ならではのシーンだろう。そして、前段の水前寺清子のインタビューに、タイガーvsキッドのゴング前には、なぜかタイガーに等身大(とテレビでは言っているが、実際は本人より小さめ)のタイガーマスクのブロンズ像がプレゼントされる演出も。しかもプレゼンターは漫画『タイガーマスク』の原作者、梶原一騎!こんなところも元日に向けた視聴者サービスだったか。セミの藤波戦に勝利してタイトルを防衛したボブ・バックランドも、マイクで、「ハッピー ニューイヤー!」の一言。ただ、メインの猪木vsローランド・ボックは終了まで入り切らず。生中継の難しさも感じさせた。なお、視聴率は9.6%と、従来の『ワールドプロレスリング』にしてはやや低調。サインボール投げなどの来場者向けの催しは、ぜひ今回のノアの元日興行でも観たいところだ。また、残念だったのが、羽織袴を来た関係者が、画面を観る限りは一人としていなかったこと。夏のイベントで、浴衣、甚平による来場者には割引があるように、今回の元日興行でも、ぜひお正月気分を促す味付けが欲しいところだ。

 動員は、主催者発表で3300人(札止め)。「入りきらずに、数百人のファンに帰って貰った」との実況陣のコメントがあり、つまり、元日だからと言って、特に動員的には不利ではないという証左を得たことになる。これを受け、新日本プロレスは、以降も1985年まで、今度は新春シリーズの開幕戦という形で、後楽園ホールで元日興行を開催。1983年のメインは、猪木vsブラックジャック・マリガン、以降、猪木vsダスティー・ローデス、猪木、藤波vsハルク・ホーガン、ワイルド・サモアンというメインだった。1986年からは通常(?)の1月3日近辺よりの幕開けとなり、1992年開始の『1・4 東京ドーム』に繋がるわけだが、新日本が元日決戦を辞めた1986年、まさに後楽園ホールで、別団体のプロレスがおこなわれる。全日本プロレスが興行を打ったのだ。

全日本唯一の元日興行でメインはあの人!


 こちらは水曜日で、当時、毎週土曜日の午後7時から放送していた『全日本プロレス中継』の生放送は特になかったが、刮目すべきはその興行日程。なんと正月3ヶ日に、後楽園ホールの3連戦を敢行。前年より、長州は自らのプロモーション『ジャパンプロレス』所属選手として、全日本プロレスを主戦場に。同団体の人気は高まり、10月にはそれまでの夕方放送から、上記のゴールデンタイムにテレビ中継も復帰。もともと堅実な興行日程を組むジャイアント馬場サイドだけに、時の権勢を逆に見せつけた印象だった。
 さて注目の元日の主役は、やはり長州。メインを戦ったのだが、これが伝説の、長州の唯一の異種格闘技戦、トム・マギー戦。5分10ラウンドで行われたのだが、事前に専門誌で公表された相手のマギーの戦歴がウェイトリフティング。(それって格闘技なのか?)という不安通り、試合が近づくにつれて出て来る、妙に多いマギーの格闘遍歴。『カンフー、空手の心得あり』『「ワールド・ストロンゲストマンコンテスト」上位入賞常連選手』etc。実際、入場時にはコーナーポストに上り、シューティングスタープレスの要領で回転してリングに降り立つ美技を披露。だが、良かったのはここまで。試合になると側転で長州の動きを派手にかわそうとして、ロープに引っかかってしまう始末。試合は長州がラリアットからフォール勝ちという、異種格闘技戦にしては珍しい結果に。なんのことはない。このマギー、そもそもプロレスの心得のある筋肉自慢だったのだ。事実、この翌日、翌々日と、栗栖正伸、ハル園田に、それぞれ30分1本勝負でフォール勝ちしている。こちらは“元日興行”ということで、何らかの目玉を仕立てなければならなかった内実による顛末にも思えた。なお、これが理由というわけでもなかろうが、全日本プロレスの元日興行はこの一度切りに終わっている。

前世紀最後と、今世紀最初は、いずれもルチャ団体!


 次の元日興行は、なんと10年後の1996年。元日がいかに国民全体に休日として認識されているかがわかろうスパンだが、場所は宮城県ニューワールド仙台テニスコート。主催はお馴染み、みちのくプロレスだった。実はこの『ニューワールド仙台』、今は『仙台ヒルズホテル』と名前が変わっているが、そもそもシティホテル。つまり、その屋内のテニスコートを会場にしたわけだが、何を隠そう、前日の大晦日には、こちらのホテルの宴会場でみちのくプロレスの年越しパーティーが。ファンも参加出来る形になっており、それならいっそ、翌日、試合もやってしまおうということだったようだ。試合は3試合ながら、なんと主催者発表で2000人(超満員)の観客が詰めかけた。大盛り上がりながら、外は試合途中から猛吹雪に。そして、控室は別の建物にあったため、選手たちは入退場時に雪の洗礼を浴びることに……。結局、みちのくプロレスの元日大会も翌年以降、行われず。年越しも元日も選手とプロレスで過ごせるというのは、非常にみちのくプロレスらしい、ファン目線のアイデアだと思ったのだが。

 今世紀に入って、初の元日興行をおこなったのは、2006年の大阪プロレス。会場は大阪・デルフィンアリーナ。言わずもがな、当時の団体の常設会場であり、その地の利とフットワークを活かした開催になった。翌年以降も同所、同日に開催している。ただ、東京に本拠を置く専門紙誌には、ものによってはこの事実が今いちスルーされているようで、そこは残念に思う。

 そして2008年からは、その東都でも元日興行が開催。場所は後楽園ホール。なおかつ、現在もそれが続いているといえば、そう、ZERO1だ(2008年当初の団体名はZERO1-MAX)。新春らしく、2011年には、橋本大地のプロデビュー戦を発表(同年3月6日の両国国技館大会)。翌2012年にはその大地が、シングルで初勝利を挙げた(vs横山佳和)。2009年には、いまは別々になってしまったが、金本浩二がHIKARUにリング上で公開プロポーズをするシーンも。そして、メインをよく飾っているのが田中将斗。幕開けの2008年にはシングルで関本大介を下し、2014年には大谷とのタッグ対決、2016年には鈴木秀樹との一騎打ちが、大会を締めている。言わずもがな、田中はノアの9月シリーズのリーグ戦『N-1 VICTORY』に名を連ねている強者。来年もZERO1は後楽園ホールで元日興行をおこなうだろうし、ということは、日本武道館大会との掛け持ちもあり得る?大会の時間帯も含め、こちらにも密かに注目したい。

 読者の方々も知るところが多いと思うのだが、そもそも大晦日や元日の日本武道館は、イベント人気が集中する器(※最近ではダンスロックバンド「DISH//(ディッシュ)」が2015年から18年の4年連続、元日に使用したのが有名)。それがここに来てノアの大会が実現となったのは、このコロナ禍による全体的なイベント縮小ムード(※特に音楽系)も大きいだろう。逆に言えば、ノア、いや、プロレス界にとっても大きなチャンスとなる。

 個人的感懐かも知れないが、プロレスこそ、人々を勇気付ける最大の力を持ったジャンルに思う。世の中全体がここ2年、雌伏の時を過ごしている感があるだけに、来年1発目の、プロレスの大いなるパワーに、ぜひとも期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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