2021/6/26 12:39

1周せずに終わったあの団体の巴戦!脱落も最後までリング下にいた三沢の由!三冠王座を巴戦で争奪!プロレス・巴戦特集!

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1周せずに終わったあの団体の巴戦!脱落も最後までリング下にいた三沢の由!三冠王座を巴戦で争奪!プロレス・巴戦特集!
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6月26日(土)、ジェイク、宮原、青柳で、三冠決定巴戦!


 以前の当欄で、老舗夕刊スポーツ紙と各プロレス団体の関係の懇ろさを書かせて頂いたが、末端の筆者とて、団体に意見が採用されることが、今までに全くないわけでもない。とはいえ、同様に、それとは知らず、差し響いているかも知れぬ例も……。

 2010年代半ばのことだ。ある雑誌に、こんな大意のことを寄稿した。『3WAYマッチにおいては、最初に誰かをフォールすればそのチームや個人が勝ちなのか、自分以外の2者、もししくはチーム全てを倒せば勝ちなのか、今以上に強い明示が必要かも知れない』。すると、そのムック発売の数日後放送の『ワールドプロレスリング』におけるタッグの3WAYマッチに、以下のようなテロップが流れたのだ。

『最初に勝利したチームが勝者となります』。

 それまでその手のテロップが出たことがなかったので、筆者はびっくり。同時に、少々身の置きどころのない気持ちにもなった。同寄稿を、多少、シビアに書いてしまった部分もあったので……(汗)。まあ、ただの偶然だと思いたい(苦笑)。そして、かような思い出が蘇ったのは、ネット上で今週、(市井のユーザーの皆さんの)こんな書き込みが目立ったからだった。『not 3WAY』『≠3WAY』『3WAYじゃないです』etc……。

 来たる6月26日(土)、全日本プロレス・大田区体育館大会にて、三冠ヘビー級王座決定巴戦がおこなわれる。本来は、同王者・諏訪魔がジェイク・リーの挑戦を受ける予定だったが、その諏訪魔が6月19日、新型コロナウイルス陽性判定を受け、王座を返上。ジェイク、宮原健斗、青柳優馬の3人による巴戦で、新王者を決することとなったのだ。先の書き込み連は、それを受けてのもの。決して悪意のあるそれでなく、昭和世代の筆者自身、この情報が入った時は、一瞬、(あ、3人でリングでやるのか)と思ったほどである(※3人でやることには変わりはないが)。それだけ、特にここ10年、余りにも3WAYという試合形式がはびこっていたということだろうか……。もちろん、3WAYと巴戦は別のものだし、前者が作戦を弄する側面があるとすれば、後者はひたすらマラソンマッチという趣で、真逆の魅力があると言っていいだろう。
 今回はプロレス界における、この巴戦を、特集したい。

80年代、90年代それぞれに、巴戦の名勝負が。


 巴戦と言えば、3人が順繰りにおこなうシングルマッチ。いずれかの選手が2連勝した時点で決着となる。歴史上、有名なのは、まず1984年2月7日に新日本プロレスでおこなわれた『WWFジュニアヘビー級王座決定戦』だろう。前年8月に引退した初代タイガーマスクが返上した同王座をめぐって、この年の1月より争奪リーグ戦が開催。若き高田延彦(当時・伸彦)など9選手が参加したが、最終公式戦を終えた時点で、ダイナマイト・キッド、その従弟のデイビー・ボーイ・スミス、そして初代タイガーマスクの後続のマスクマン、ザ・コブラが同点で並び、巴戦で雌雄を決することに。先ず、コブラとスミスが両者リングアウトになり、続いてスミスとキッドが対戦。これを下したキッドが続いてのコブラ戦にも連勝し、第10代のWWFジュニアヘビー級王座に輝いたのだった。

 90年代、人口に膾炙したそれと言えば、1997年の全日本プロレス『チャンピオン・カーニバル』の優勝決定戦(4月19日)。三沢光晴、川田利明、小橋建太(当時、健太)が、これまた同点で並び、巴戦で決着をつけることとなった。この処置は、最終公式戦がおこなわれた2日前の埼玉・深谷大会で決定したのだが、三沢は首を痛めており、「今の状態で、1日2勝はキツイ」と苦渋の表情。川田も「クジ運にかけるしかない。先に三沢さんと小橋がやってくれれば」と弱気な一方、小橋が、「決勝戦は2人でやろうと3人でやろうと、目指すものは変わらない」と、やる気満々だったのが、何とも本人らしかった。

 試合順の抽選は当日の第1試合前にリング上でおこなわれ、『AvsB』『AvsC』『CvsB』の順にあてはまったのが、A=三沢、B=小橋、C=川田。あにはからんや、川田の望み通り、最初の三沢vs小橋は30分時間切れ引き分けになり、その疲弊した三沢を、川田は僅か6分9秒、パワーボムで撃破。続いて小橋に21分27秒、ジャンピング顔面蹴りからフォール勝ち。連勝で大会を制したが、リング上での優勝インタビューにおいては、次の一言。「クジ運だけで勝ったというか。本当にラッキーでした」これまた本人らしく、本音をこばす物言いが印象に残った。

 秘話の一つとしては、この日を巡って、後日、揉めたことが。言わずもがな、3選手は1日2試合しているわけだが、この日のファイトマネーは1試合分のそれだったのだ。1ファイトマネー=1大会分のギャラという見地からの処置だったかもだが、3人の気持ちを考えると、確かにいたたまれない。この巴戦は、合間に他の試合を入れることなく、つまりは、それぞれの入退場シーンを除けば、インターバルなし。小橋と引き分けた三沢が、リングにうっぷしながら川田の入場を待っていたのが思い出される。田上こそいないが、最も過酷な四天王プロレスが観られた日と言って、過言ではないと思う。

 秘話をもう一つ。この歴史的な試合後に、もう一つイベントが。レフェリー、ジョー樋口の引退セレモニーがあったのだ(引退発表や挨拶は同年3月1日の日本武道館大会)。マスコミ各社から記念品をもらい、ジョーがリングを降りると、「ジョーさん、お疲れ様でした」の声が。三沢だった。激闘の2試合をこなした後、このために、リングサイドに残っていたのだった。

 ところで筆者は、少なくとも前世紀まで、巴戦を、『その日のうちに、3人でやるリーグ戦』と捉えていた部分があった。例えば、先のジュニアの巴戦でいえば、もし、キッドにコブラが勝てば、その日、1勝1分けで、キッドは1勝1敗、スミスは0勝1分け。なので、コブラの優勝だと思っていたのだ。事実、当時のビデオを見直すと、「(キッドvsコブラの)勝った方が優勝」という実況も見られる。2連勝が、巴戦制覇の条件のはずなのだが……。

 これはおそらく、巴戦という優勝決定方式が、大相撲から来ている部分が大きいと思う。大相撲は水入りはあっても、引き分けはない。なので、3人で優勝を争う場合、連勝しないと、「他の2人より強い」ということにはならないわけだ。

 どういうことかというと、つまりである。AがBに勝ち、しかし、続くCに負け、そして、そのCがBに負ければ、互いに1勝1敗。スコアはイーブンになる。これではずっと、優劣がつかない。なので、連勝が必須条件になるわけである。

 ということは、逆に言えば、こういうことになる。“連勝がなければ、巴戦は、何周もしていく”。それに類した試合が、プロレス界でもあるのである。

貴重!? 1周しなかった巴戦!


 有名なのが、1997年1月14日、伝説のインディー、UNWで行われた『アイアンマンコンテスト』(後楽園ホール)。出場者は同団体を立ち上げたセッド・ジニアスに、同団体のレギュラー外国人と言って良かったマーク・フレミングにヘンリー・ロビンソン。最初にロビンソンがジニアスに勝ち、そのロビンソンにフレミングが勝ち、そのフレミングにジニアスが勝ち、そのジニアスにまたロビンソンが勝ち……と、巴戦を2周以上。最後は、ロビンソンにジニアスが勝ち、終了(とはいえ、既にロビンソンに2度負けていたわけだが)。巴戦だけで7試合を消化していた(他に前座が1試合で、計8試合)。なにせ、実は筆者も1観客として行ったことがあるのだが、某誌に、『今回も、物好きなファンたちが集まった』と書かれたこともある同団体。試合内容自体は非常にクラシカルでオーソドックスだったのだが、結果的に巴戦が2周してしまう事態を、ファン自身が楽しんでいる雰囲気があった。

 上記は、いわばメインでもあるし、大会名宜しく、興行の売りでもあったわけだが、前座試合が2周したことも。1995年1月11日の、天龍源一郎率いる『WAR』の茨城県・水戸市体育館大会では、栗栖正伸、安良岡裕二、シクロン・ラミレスが巴戦。こちらも2周した上で、最後は栗栖が勝利。当日というかこのシリーズ、天龍は前年末に、北尾光司との一戦で鎖骨を折られ、欠場中。冬木軍を率いていた冬木弘道が代役さながらのエースに就いていた。「天龍がいないのは、どんなものだろう」と思ったのだが、どうしてどうして、お客もしっかり入っており、そちらに驚いたのが懐かしい、冬木と言えば、後にFMWでエンターテインメント・プロレスを標榜するわけで、かような3WAYマッチの開催も、冬木のアイデアに拠るものだったかも知れない。

 2周した前段の2つに比べ、凄かったのが2007年12月20日、IGFのメインにて行われた巴戦(有明コロシアム)。出場者は小川直也、安田忠夫、レネ・ローゼで、まず、安田がローゼに勝利。続いての安田vs小川は、小川がKOで勝利。すると、安田は良いとして、なぜか小川も退場。(……あれ?)と思い、観ていると、猪木がマイクで「やるなら殺せ!一寸先はハプニング。来年はすげぇこと起こすぞ。1、2、3、ダー!」。なんと、巴戦なのに、1周しなかったのである!これでは、安田とローゼが挑戦権を争う、小川へのトーナメントではないか!取材していた筆者は、もちろん疑問に感じ、他の記者さんとも話したが、さりとて、IGF側には、なんとなくそれを聞いてはいけないような雰囲気というか、早めの撤収ムードが……。おそらく、最初に巴戦とした設定を忘れていたのだと思う。先週触れた西武ドームではないが、有明コロシアムも後から屋根を被せた会場であり、夏は暑く、冬は寒い。当日は12月も下旬だったし、寒かったので、「2周するよりも、良かったかも知れない」と、よくわからない慰めを自分に施したのを覚えている。

 過去10年で言うと、2011年8月から9月に大日本プロレスでおこなわれたBJW認定デスマッチヘビー級王座挑戦者決定巴戦が、2周以上を要している。当時、伊東竜二が保持していた同王座への挑戦権をかけて、アブドーラ小林、星野勘九郎、佐々木貴が巴戦で激突。とはいえ、1日1試合。その上で連勝した選手を勝利者とするという、ある意味、無理のない新機軸だった(小林の佐々木戦の勝利から始まり、2周して小林が佐々木、星野に連勝して決着)。一方で、やはり、巴戦の醍醐味と言えば、連戦にて1日のうちに決まる結末だろう。

 6月26日当日は、既に連勝することが勝利の条件と明記。3人でおこなう箔付けに、往年の三冠ベルト、つまり、PWF、インター、UNヘビー級の3つのベルトが復活予定。さらに、過去、前述の巴戦を経験した小橋は「新たな歴史と時代を創る王者が誕生することを、大いに期待しています!」とコメント。また、テレビ解説を務める天龍源一郎も、「時代が求めたマッチメーク。大きな変革を迎える」と、この三冠決定戦を心待ちにしている。

 なお、チャンピオンカーニバル決勝での巴戦を制した、前出の川田のマイクは、こう続く。

「これが全日本プロレスです!」

 そんな熱闘を、6月26日も、期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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