2021/5/10 7:33

尾崎豊もデュエット!! 天山のモンゴリアンチョップを一蹴?! 32年の歴史に幕!キラー・カーンの居酒屋『カンちゃん』の思い出!

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5月22日、32年の歴史に幕!


 田舎者の筆者だけに、東京へ来ると、びっくりすることが多かった。常に混んでいる山手線、日付が変わっても栄えている盛り場などなど。中でも、何度か引っ越す中、その度に新鮮な驚きを感じることがある。それは、特に都内の場合、10分から、長くても30分程度歩くと、最寄り駅以外の駅を見つけられることである。無論、例外はあろうが、東京という都市の緻密な交通網に、その度に感じ入る次第だった。その店との出会いも、そんな副産物だった。

 地下鉄沿線の『落合』という駅に住んでいた時のことだ。暇だったのでダラダラ北に10分ほど歩いていると、突然、線路が現れた。当然ながら駅の匂いを感じ、路線沿いに行くと、西武新宿線の『中井』という駅を発見。おそらく今でも、のどかな駅の一つだと思うのだが、駅から徒歩1分にある看板を見て、衝撃を受けた。『スナック カンちゃん』(あのキラー・カーンの店が、こんなに近くにあるなんて!)1990年代前半のことである。

 あれから30年近く。残念なニュースが入った。現在は新大久保駅近くに店を構える、そのキラー・カーンのお店『居酒屋カンちゃん』が、5月22日をもって、閉店するという。後述もするが、何度かの移転こそあれ、30年以上続いた名代。元プロレスラー経営の店としては、最長レベルで愛された名店だった。

 今回はこの別れを惜しみ、キラー・カーンと『カンちゃん』について、綴ってみたい。

複数店舗展開の人気店!


 キラー・カーン、本名、小澤正志は、1947年、新潟県出身。大相撲を経て1971年、日本プロレスでデビュー。2年後に新日本プロレスに移籍し、海外修業を機に、キラー・カーンに改名。WWF(現WWE)でトップ戦線に食い込んだ。アンドレ・ザ・ジャイアントの足を折ったことをめぐるドラマは拙著の類でも書かせて頂いたので割愛するが、昭和プロレス世代の筆者にとっても、忘れられない選手である。現在になぞらえて言えば、天山広吉や、グレート-O-カーンが使うモンゴリアン・チョップのそもそもの使い手。日本での名勝負としては、1982年3月26日の藤波辰巳(現・辰爾)戦が口の端に上ることが多いが、個人的には長州力戦が印象に残る(1986年7月31日)。長州の名勝負というと、藤波、天龍、猪木戦などが挙げられる向きが多いが、このカーン戦こそ、長州のベストバウトだと思うのだが……。何やらのっけから余談めいてしまって恐縮だが、機会があれば、ぜひ皆さんにも視認して頂きたい。

 さて、カーンさんのみならず、プロレスラーが飲食店を経営することは非常に多いのはご存じの通り。だが、いくつの店が生まれ、消えて行ったことだろう。古くは『アントン・リブ』に『ちゃんこ天龍』から『焼き鳥 大熊』(大熊元司)、高田延彦がオーナーの大皿料理店『舌心』、そして、名前にインパクト大だったジャガー横田の『横田基地』(※キャバレークラブ)etc。水商売という異名もあるくらいの飲食&接客業。実は、別にプロレスラー経営に限らずとも、長く存続するのが、非常に難しい業種なのだった。

 そんな中で刮目すべきは、前出もした、『カンちゃん』の息の長さ。今一度、移転も含め、その歴史を大まかに振り返ろう。

・1989年2月、中井駅に『スナック カンちゃん』オープン(地下1階)。
・1997年9月より、同店の1階に『チャンコ居酒屋 カンちゃん』を併設。
・2001年より、新宿は歌舞伎町のビル5階に移転。『ちゃんこ居酒屋 カンちゃん』に。翌年にはカラオケスナックも併設。
・2010年9月より、綾瀬にも『ちゃんこ居酒屋 カンちゃん』を開店。
・2013年1月、『ちゃんこ居酒屋 カンちゃん』を、歌舞伎町から西新宿、税務署通り沿いのビルの1階に移転。
・2016年、現在の新大久保駅近くに移転。

 今年で32年目の『カンちゃん』の屋号。カーンさん自体は1987年に現役を引退。その後の一時期、『キラー・カン』という芸名でタレント活動をしていた時期があり、そこからの店名だったが、それにしても、本当に長き歴史である。2002年、歌舞伎町店に取材でうかがった時、その秘訣をこんな風に言ってくれたことがあった。

「初めて来てくれた客を、次も来させるには、どうすればいいかを考えて行動する。それが一番大事」そして、こう続けた。「プロレスと一緒ですよ、そういう意味では」

安価な会計を目指した『カンちゃん』


 同じ新潟県出身の英雄、ジャイアント馬場と対戦すると、「尊敬してるので、緊張してアガッてしまった」という、生来の人の好さ。1998年、猪木の引退試合で久々に新日本プロレスを訪れると、天山広吉に言われた。「モンゴリアンチョップを使わせてもらってます。ご挨拶が遅くなりまして……」即座に返した。「いや、挨拶に来なきゃいけないほど、難しい技じゃないじゃん!(笑)」誰もが言うが、ことさら懐深く、優しい性格なのだった。

 そんな人柄だけに、接客業は実はリングより向いていたかも知れない。加えて、料理の美味しさは一級品。大相撲時代からその腕前は知られていたが、新日本入りすると、永源遥と、その自作チャンコの人気を二分した。プラス、店で出すその一品の分量も膨大。「1人前は、(元プロレスラーの)俺が思う1人前だから(笑)」(カーンさん)。この時の取材当時は、まさに歌舞伎町のビルの5階に移転した翌年だが、大賑わい。来店客にその魅力を問うと、こんな答えが多かった。「この場所にしては、安くていい」。カーンさん自身、こう語ってくれた。「俺は、若者やサラリーマンの、味方でいたいんだよね」……。

『カンちゃん』の店名が、新天地でネックに。


 現役引退時は、まだ40歳。よって、それこそかつて活躍したWWFからも復帰を熱望されたが、固辞。直前に、同士だった長州力らが、多額の移籍金で新日本プロレスに出戻るのが許せなかった。「もう、お金に関することはコリゴリでね」(カーンさん)。

 先述の料理人ぶりから、飲食業進出はさもありなんと思っていたが、詳しく聞くと、実は引退から開店までの2年間、長野県の上山田という温泉街のスナックで、接客を含めた修行をしていた。「お客様に出すわけだから、素人の余技で済むわけはない」(カーンさん)。

 後年には神奈川の蔵元で、モーツアルトを聴かせて醸造した清酒『カンちゃん』に、『モンゴリアンサラダ』なんてメニューもあったが、筆者が客として行っていた初期からチャンコ(現『カンちゃん鍋』)に、豚汁、だし巻き玉子等々、和食を中心に絶品だった。それだけに、閉店の理由を知った時は、なんとも言えない気分となった。

『「この街がいやになったんだよ」(中略)JR新大久保駅近くのコリアンタウンにあり、周りは韓国料理店が軒を連ねるが、「居酒屋カンちゃん」は日本料理店。ただ(カンちゃんという)店名のせいもあり、韓国料理店と勘違いし、入店するお客さんも多い。(中略)この街に韓国料理を食べに来てるんだから、日本料理でやっていくのは大変』(『東京スポーツ』5月7日付)

 同紙には、こんな見出し、記事も躍った。『尾崎豊さんが愛したキラー・カーンの店閉店』『尾崎豊さんが愛したカレーライス』……。

尾崎豊も愛した名店。


 夭折のカリスマ・シンガー、尾崎豊が同店の常連だったのは、極めて知られるところだ。店が1989年2月オープンで、本人の急死が1992年4月だから、付き合いは長くても3年余。だが、カーンさんによると、「月に2~3回は来てた。マネージャーや……お母さんを連れて来たこともあったね。『カンさん、ウチの母です』って」。ボトルも入れ、こちらは今でも現在の『カンちゃん』に大事に飾られている。繰り返しになるが、カーンさんが作る、素朴な味のカレーライスが好きだった。

 有名人ゆえ、気づく客も多く、写真撮影をせがまれた。カーンが気を使い、その客を止めようとすると、言った。「いいんですよ、カンさん」。2ショットどころか、客がせがむと、カラオケでデュエットにも快く応じたという。

 尾崎豊が、カーンの店をどう思っていたかは、もうわからない。だが、カーンさんは言う。「俺はウチの店での彼しか知らないけど、良い青年だったよ。周囲の誰にも偉ぶらずに『カンさん、いいんですよ』って応じてね……」

 尾崎の死後、店は3度移転。だが、『カンちゃん』の屋号は、最後まで変えることはなかった。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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  • ひき逃げしたから閉店するんでしょ

    ID:23766077 [通報]
    (2021/5/10 14:53)
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