2021/3/1 11:43

チャンピオン・カーニバル不参加となった新星も。BUSHIとヒロムの意外な初陣!ヒロム全治6ヶ月!『大胸筋断裂』を探る!

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チャンピオン・カーニバル不参加となった新星も。BUSHIとヒロムの意外な初陣!ヒロム全治6ヶ月!『大胸筋断裂』を探る!
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全治6ヶ月!IWGPジュニア王座も返上!


 デビュー戦を観ている選手は、気にかかる。これはファンでもマスコミでも同じことだろうが、印象的な瞬間があれば、なおさらだ。彼の場合もそうだった。2010年8月24日、デビュー戦を黒星で終え、こう言った。「親にもこんないい名前をつけて頂いたのに、申し訳なく思ってます」……。高橋広夢(現ヒロム)だった。そこから約2年後、『BEST OF THE SUPER Jr.』に欠員が発生、大会前日の会見を取材していると、「(空いた枠に)自分を出して下さい!」と、当時の菅林直樹社長に直訴するヤングライオンの姿が。広夢だった(2012年5月26日)。「この面子の中で新日本の看板背負って闘えんのかよ?」という菅林社長に、「必ず期待に応えます!」と答える広夢。このやりとりも熱かったのだが、筆者が少なからず感動したのは、結局、参戦を受諾された広夢が、だからと言って、もともとの参戦選手が居座る舞台側に回らず、そっと後ずさりして。会場の左斜め後方から、会見を観ていた姿だった。最後の集合写真こそ、それこそ一番左端に映ってはいるが、総じて、「自分にはまだ早い」と思ったのだろうか。それとも、自分は挑戦者の立場という気持ちだったのか。いずれにせよ、デビュー戦での名前に絡めたコメント含め、心から好感を持ったのを覚えている。

出場を直訴するヒロム
会場後方から会見の様子をうかがうヒロム
出場全選手による集合写真

 それから9年、IWGPジュニア王者として輝くヒロムを、大難が襲った。2月20日の山形大会を最後に欠場を続けていたが、左大胸筋の完全断裂が判明。全治6か月の診断が下されたのだ。25日の後楽園ホール大会では、手術に臨むことと、IWGPジュニア王座を返上することを、自ら発表。 その通りに受け取れば、半年はヒロムの試合が観られない。負傷のニュースとしての扱いの大きさが、現在のヒロムの存在感を語って余りあった。

 そこで、気になるのが、この『大胸筋断裂』という怪我である。早期復帰はないのか?復帰後の後遺症は?今回の当欄は、この、スポーツ選手におけるこの大胸筋断裂を追跡。『プロレスラーと大胸筋』としてお送りしたい。

秋山がデビュー時のシューズを残す理由。


 日本球界復帰が決まった“マー君”こと田中将大。その2013年の連勝記録がギネスにも認定(※しかもシーズン連勝数、前年からの公式戦連勝数、ポストシーズンを含めた連勝数の3つ同時)されているタフマンだが、そのマー君が6回途中、突然降板したことがあった(2010年8月29日・vs西武)。理由は右大胸筋部分断裂。激しい投球による、肉体の酷使だったと見られる。全治は3週間。ヒロムの完全断裂とは違う、部分断裂だったためだが(完全断裂については後述)、当時、「プロ野球選手には、あまりない症例」とされたのを覚えている。大胸筋の断裂は、高重量のベンチプレスで強い力を入れた瞬間や、試合中に大胸筋に過度な攻撃を受けた時などに起きるが、つまりは、特にコンタクトスポーツにおいて、その恐れがある怪我と言っていいだろう。

 2月15日にDDTへの正式入団が話題となった重鎮、秋山準には、苦い思い出が。1992年9月に全日本プロレスでデビュー。新星の煌めきそのまま、翌年3月の『チャンピオン・カーニバル』には、キャリア半年でエントリーした。ところが、その開幕戦(3月25日)で負傷。同大会の公式戦を一度をおこなえぬまま、結局、復帰まで2ヶ月以上を有した。理由は、右大胸筋の断裂。負傷の翌日には、三角巾で腕を吊り、「(最初の)公式戦(※3月31日の福井大会)までに治す」と言っていた秋山だが、無理な話であった。この時の無念さを忘れぬよう、秋山は、デビューからこの日まで履いていた青と白のリングシューズを、大切に取ってあるという(※他はファンへプレゼントなどにあててきた)。

 逆に言えば、未来の大器である秋山を、この時きっちり欠場させた周囲の配慮も、今では評価されるべきだろう。というのは、この大胸筋断裂を、そのまま放置し、戦い続ける例が、マット界には、ままあるからだ。

部分断裂で、闘い続けるケースも。


 2017年5月12日の、『NEW』(※IGFの別ブランド)栃木大会で、村上和成が鈴川真一を襲撃した。NEWは『NEXT EXCITING WRESTLING』の略で、コンセプトは「痛みの感じる」、「殺気がある」、「勝負にこだわる」。まさにうってつけの村上の起用だったが、暗転。この襲撃の際、村上が左大胸筋を断裂したのである。しかし、村上は7月の、同リング活動休止まで、主にメインイベントで戦い続けた。村上がこの患部を手術したのは、結局、翌年3月のこと。医師から「このままだと腕が機能しなくなる」と通告されたという。

 井上亘も、2010年に、右大胸筋を(部分)断裂。マッサージ等で患部の痛みを和らげ、闘い続けた。しかし、2014年に引退。井上に複数に渡る他の部位の怪我があったのも事実だが、同年2月2日のリング上からの引退表明では、この右大胸筋の断裂も、リングを降りる理由に挙げていた。いわゆる“肉離れ”の一種なのだが、治らねば上体に力が入らず、練習が出来ず、肉体が鍛えられないという悪循環に陥る。

 では、今回、ヒロムが負った、大胸筋完全断裂とは、どういった症状なのだろうか。

早期手術が賢明な大胸筋完全断裂。


 この大胸筋完全断裂を負った有名選手が、柔道の井上康生。2005年1月9日、嘉納杯国際大会の決勝の開始直後、ベラルーシのルイバク選手に内またをかけた際、負傷。ところがこの試合、井上は1本勝ちで優勝。このあたりは、先述の、断裂し続けても戦い続けた選手たちと通底する。井上康生の場合は、右肩の腱が完全に断裂。具体的には、骨と腱は通常、くっついているのだが、これが完全に切断状態。なので、右の上腕骨に穴を開け(縦35mm、横6mm)、そこに、断裂し、離れた腱を引っ張り込み、糸で固定するという手法を取った。「井上選手の場合は、腱が完全に断裂しており、こういうケースは海外のレスリングやボディビルダーに何例かあると聞いてます」(宮崎誠司・全日本チームドクター)(『日刊スポーツ』2005年1月26日付。以下同)。この井上の時の診断が、ヒロムと同じ全治6ヶ月。ヒロムが同様の状況かわからないが、同ドクターのこんな言葉もある。「2週間以上経過すると手術しにくくなるので、その前に手術することになりました」(同)。また、井上自身の、こんな言葉もある。「60%か70%しか回復しない部分治療よりも、100%近く回復して試合に臨んだ方がいいと思い、手術を決断しました」(同)

 角界では、琴奨菊も有名。2013年11月11日の、九州場所2日目で、松鳳山に左を差され、腕(かいな)を返された瞬間、「ブチッ」と音が。「腕が取れたかと思った」ほど、腕の感覚がなく、見ると、胸の筋肉がぺろりと下がっていた。全治3ヵ月。会場であった福岡県は、琴奨菊の地元。知り合い、支援者も段違いに多く、無理をしても出続けようとしたという。だが、思いとどまらせたのが、まさに支援者の言葉だった。「自分が出るのは、自己満足でいい。だけど、周りはみんな、心配なんだ」。なお、琴奨菊は休場中、怪我をしていない下半身の強化に取り組み、翌年の復帰以降、より強く体を残せるようになった。先の言葉とともに、こんなアプローチ方もあることを、ヒロムのためにも明記したい。

 琴奨菊は怪我から3年後の2016年、自身初優勝。また、井上康生は、手術から半年もすると、復帰の報道が何度もされたが、万全を期して、約1年半後の全日本実業団対抗で実践復帰。3試合おこない、オール1本勝ちだった。

 2月25日、IWGPジュニア王座を返上したヒロムは言った。「一つだけオレの我がままを聞いてください。BUSHIさん、オレの代わりに大阪城でファンタズモと闘ってください」。

 冒頭の2012年、ヒロムの『BEST OF THE SUPER Jr.』初参加となる集合写真。左端に急遽参加のヒロムが位置したのは触れた通りだが、KUSHIDAを挟んで横に、BUSHIの姿が。BUSHIもこの年の5月1日より、新日本にレンタルという形で移籍(翌年正式所属に)。ヒロムと同じく、この大会が初めての『BEST OF THE SUPER Jr.』だったのだ。しかもBUSHIはこのシリーズ開幕戦で、新日本デビュー(2012年5月27日)。ひょっとしたら、この前日会見が、2人が初めて同じフレームに入った瞬間かも知れない。

 こんな道程もあれば、もちろん同じロスインゴの仲間ということもあろう。まさに昨年末のヒロムvsデスペラードの名勝負や、SHOの躍進など、上げ潮状態にある新日本ジュニア。欠場中のヒロムの願いは、このムードをなくさないことのはずだ。

 ヒロムの完全復帰を待つとともに、ジュニア勢の新たな熱き闘い模様に期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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