2020/7/6 10:31

録画なのに試合が最後まで入らず!? 朝9時まで延長OKだったあの大勝負!“金曜夜8時”復活!プロレス・生中継伝説!

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録画なのに試合が最後まで入らず!? 朝9時まで延長OKだったあの大勝負!“金曜夜8時”復活!プロレス・生中継伝説!
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7月3日夜8時、BS朝日で新日本プロレス生中継!


 仕事柄、全国紙を含め、新聞を読むことが多いのだが、6月29日の読売新聞の夕刊(関東版)に驚いた。オカダが、トップコーナーに上ったジェイ・ホワイトに、下からドロップキックを見舞う写真が大きく掲載されていたのである。大見出しにはこうあった。『伝統の枠 34年ぶり復活』。

 7月3日(金)、夜8時に、BS朝日『ワールドプロレスリングリターンズ』にて、新日本プロレスの試合が生中継された。時節柄、会場は非公開だが、これが生放送であること、かつ、曜日と時間に意味があった。金曜の夜8時と言えば、かつて(現在も放送中の)『ワールドプロレスリング』が、テレビ朝日で放送されていた時間帯なのだ。今回は、地上波でなく、民放BS放送なのだが、にもかかわらずそれがニュースとなることに、改めて“金曜夜8時”、並びに“生放送”の威光を感じる。さらに言えば、同『ワールドプロレスリングリターンズ』自体はそもそも毎週金曜日の夜8時からのプログラムだったゆえ、今回はズバリ、“生放送”がキラーワードと言えるだろう。平成前後以降、プロレスは、その放送枠が深夜や夕方枠に追いやられたという現実があるだけに、このフォーマットは極めて得難いものだったのだ。そして、生放送である以上は、このネット時代でも、結果がわからずに、リアルタイムで楽しめるコンテンツということ。勝負ごとである以上、その醍醐味に勝るものはないということだろう。

 今回の当欄は、『プロレス・生放送伝説』としてお送りしたい。

現在の“生”は、PPVやネット


 そもそも、平成が始まった当時に地上波のレギュラー中継を持っていた男子プロレス団体は、新日本と全日本のみ。全日本の生中継については、こんな記事がある。『全日本 2/24の日本武道館大会を、スカパーで14年ぶり生中継』。2001年の2月9日、日刊スポーツの記事だが、調べてみると、全日本の生中継は、1988年3月26日の茨城県古河市立体育館大会以来。この時期の『全日本プロレス中継』は毎週土曜の午後7時から8時に放送というゴールデン枠だったため、実現したものだった。付言ながら、この時間の生放送ゆえ、切り札のカードを大体、セミファイナルの前に持って来なければならず、いわゆる“逆取り”(メインのカードを先におこなうこと。屋外会場で雨が降り始めた時によくみられた)がよくおこなわれていた。そして、文意に即せば、これが全日本の同時間帯最後の放送だったのである。次の放送から『全日本プロレス中継』は、毎週日曜の午後10時半からの放送に。そこから深夜枠へ移行し、結果的に『プロレスリングNOAH中継』に移行したことは、読者も知るところが多いかも知れない。

 何が言いたいかと言うと、繰り返しになるが、これとて、地上波のことではなかった点である。それこそ契約者しか観られないスカパーでの中継ながら、やはりニュースになることが、“生放送”の威勢そのものだった。

 もう一つのポイントは、これが今ではお馴染みとなった、PPV放送だったことである。視聴環境の変容により、プロレスの生中継は2000年代より、もっぱらPPVによるものが多くなった。番組をお金を払って購入するわけだから、カードに魅力がないと成立しないが、この時期の同ラインアップを見ると、長州vs大仁田(2000年7月30日)や、橋本真也率いるZERO-ONEの旗揚げ戦(橋本&永田裕志vs三沢光晴&秋山準・2001年3月2日)など、うなづける内容である(因みに、これまた同時期のNOAHの旗揚げ戦については、PPVではあったが、生放送ではなかった)。ところで、前出の全日本の14年ぶりの生中継のカードは、川田利明vs武藤敬司、天龍源一郎vs小島聡、宮本和志vsケンドー・カシン他。新日本を1ヶ月前に退団したばかりの武藤、小島、カシンと、全日本勢の対抗戦の趣だった。会場は日本武道館。これまた、お金を出してでも観たい大会だったと思う(※ただ、今だから言えるが、PPVのための設備設置のため、武道館の中2階の席を一部潰すことになり、予めその席を買っていた客と、当日、トラブルになってはいたが……)。その後、プロレスの生放送環境がネット配信へと移って行ったのは周知の通りである。

 なお、スカパーによるPPVが格闘技関連で初めておこなわれたのは、2000年5月1日、東京ドームでおこなわれた『PRIDEグランプリ』の決勝トーナメント。桜庭和志vsホイス・グレイシーの90分の死闘もおこなわれた大会である。同試合が、完全決着をつけるため、1R15分の無制限ラウンドになっていたことで、17時開始だったこちらの放送は、『終了時間未定』となっていたような……。そして、この日はゴールデンウィーク中ながら月曜日だったのだが、当時の取材に東京ドーム側が、「翌日の巨人vs中日戦の会場設営に間に合うように、(火曜)朝9時までに全試合が終われば問題ありません!」と言っていたのが頼もしく、懐かしい。

 そして、後述するが、これこそ、生放送の宿命とリンクする事案であった。考えてみれば当然だが、試合は生ものである以上、いつ終わるかわからないものだったのである。

『金曜夜8時』の歴史


 話は戻るが、『ワールドプロレスリング』番組自体は、まさに毎週金曜8時に、1969年7月2日から開始。当時、放送していたのは日本プロレスだが、1973年4月6日より、タイトルもそのままに、新日本プロレスが中継開始。以降、1986年9月19日まで、“金曜夜8時の新日本プロレス”は続いた。この枠での最高視聴率は1976年2月6日のアントニオ猪木vsウィレム・ルスカで、34.6%(!)。因みに初代タイガーマスクを有した1980年代前半の最高視聴率は1983年2月11日放送の25.%(カードは猪木vsラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇の1vs3のハンディキャップマッチのリマッチ)。他にも、この時期はいわゆる“プロレス・ブーム”とされ、『平均視聴率は毎週20%を超えていた』なる言葉が当時の関係者の常套句として使われるが、精査したところ、特にそうでもない。ただ、軒並み15%は超えており、この時期の視聴者にはやはり、『金曜夜8時=プロレス』であった。

 その『ワールドプロレスリング』も前述のように金曜夜8時を外れてからは月曜夜8時→火曜夜8時→月曜夜8時と経て、1988年4月には遂に、毎週土曜夕方4時放送と、ゴールデンタイムを外れる。だが、個人的な話になるが、筆者が就職活動でテレビ朝日の面接を受けた際(※落選)、担当の方がこう言っていたことを覚えている。「プロレス中継はね、ウチにとっては大切ものなんだよ。だから簡単には、絶対に辞めないし、可能性は常に探ってますよ」。これが90年代のことなのだが、まさにその言葉通り、『ワールドプロレスリング』の姿勢は果敢だった。何度も生中継を、試みているのである。

 土曜夕方4時からの放送だった1990年5月5日には、祝日であることを利用し、後楽園ホールから生中継(1時間枠)。いわゆる『1・4』もその最初となる1992年に、午後6時からの1時間半枠で生放送。ところがこの2つ、芳しくない共通点が。いずれもメイン終了までは、放送に入り切らなかったのだ。

果敢な『ワールドプロレスリング』、生放送への挑戦


 今ではちょっと信じられない話を一つ。1987年4月11日、新日本プロレス横須賀大会が録画中継されることになった。放送枠は火曜の夜8時からの1時間枠だった。すると、番組は最後に実況アナがこう言って終わったのである。「試合の途中ですが、最後まで入り切りません。さようなら!」確かに放送ではメインの猪木vsバッドニュース・アレンが続いていたが、これは録画中継である。つまり、生中継らしさを出すための演出だったのだ。

 当然、大不評ではあったが、さりとて、せっかくの生放送も、メインの試合が入り切らないことは確かに多く、『ワールドプロレスリング』は暗中模索した。例えば2001年7月20日の札幌ドーム大会は午後2時開始で、午後3時から午後4時50分まで生放送されたのだが、メインの藤田和之vsドン・フライは、試合開始後2分ほどしか入らず。セミの天山&小島vs太陽ケア&新崎人生が長引いたこともあるが、社内では大反省がおこなわれたとか。なお、この時の小島は、テレビ関係者に、「いやあ、スタミナがあり余ってまして」と、とりあえず詫びたそう。

 そこで対応が取られたのが、『G1 CLIMAX』の生放送。現在でもそうだが、『G1 CLIMAX』の決勝大会は、日曜日の午後よりおこなわれることが多い。そこで、例えば、1999年8月15日の『G1 CLIMAX』決勝戦は、午後3時半より午後5時25分まで生中継されたが、優勝戦以外は、録画対応にし、中継が終わる30分ほど前より、優勝戦のみ生中継されるようにしたのである。同じ手法で、2001~4年まで、『G1 CLIMAX』の生中継は続いている。

 なお、ご存知の通り、『ワールドプロレスリング』は深夜枠の放送であり、生中継を勝ち取るためには何らかの特番扱いとなる。ところで、テレビの世界でこの特番枠を確保するためには、2ヵ月前には企画書を出さねばならず、したがって、そこから2ヵ月後でも、内容が保証済みのものが枠を勝ち取ることとなる。『G1 CLIMAX』の優勝戦や、平均視聴率15.7%を記録した、いわゆる『橋本真也34歳、負けたら即引退』特番は、既にその流れが出来ていたことでの生放送達成であった。約40日前に緊急決定した新日本プロレスvsUWFインターの全面対決(1995年10月9日)や、猪木による人質解放に繋がった平和の祭典(1990年12月)が特番に繋がらなかったのは、かような背景があることを付記しておきたい。

 余談ながら、この、橋本vs小川の生放送は、2000年4月7日(金)の夜8時から。つまり、金曜夜8時の生放送での新日本プロレスは、正式にはこの時以来で、20年ぶりということになる。

連続ドラマの強みを


 プロレス好きとして知られる、勝俣州和さんのインタビューをした時、勝俣さんは、こう言われていた。

「僕の中でのプロレスって、本質的には、『毎週金曜夜8時の生中継』(番組)なんですよ。だって、生じゃないと、ストーリーや、起こっているドラマに、わくわくしないじゃないですか?」

 獣神サンダー・ライガーも、冒頭の読売新聞でこう言っている。

「金曜8時っていうのは、本当に特別なんです。家族みんなで見られるのでファンの裾野が広がり、プロレスの未来が開ける」

 ぜひ、今回の生中継を機に、これが毎週おこなわれるというような将来を望みたい。今でもそうだが、プロレスこそ、秀逸な連続ドラマ。その長所を存分に活かす第一歩を期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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