2020/6/22 7:42

会場内にボクシングのリングが常備?大日本の昼興行がない理由!ノア、新日本が、通常興行再開!やっぱり聖地・後楽園ホール特集!!

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会場内にボクシングのリングが常備?大日本の昼興行がない理由!ノア、新日本が、通常興行再開!やっぱり聖地・後楽園ホール特集!!
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ノアは7月18&19日、新日本は7月20日に客入れで開催!


 プロレス界に相次いで朗報が入った。まず6月15日、ノアが、制限付きだが観客ありの通常興行の開催を発表。さらにその翌日、先んじて大阪城ホール2連戦(7月11日&12日)での客入れ興行開催を発表していた新日本プロレスが、遂に関東での同興行の開始も発表したのだ。偶然ではあるまい。2つの団体が、都内で再出発の場所に選んだのは、プロレスファンにはお馴染みの会場だった。そう、後楽園ホールだ。

 ノアは7月18、19日に、新日本は先の大阪城ホール大会に続き7月20日に、それぞれ同所で客を入れる形の興行を再開する。場所の選定が当然過ぎると言えばそれまでだが、それこそまさに、こういうことになる。後楽園ホール、イコール、プロレスの聖地と。コロナ禍で一時中断していたプロレスの新たなエポックが、ここから更にまた刻まれて行くのだ。

 今回の当欄はこちらへの祝賀を含め、改めて、この後楽園ホールを大特集!同会場の魅力や内実を知ることで、新たなプロレスの歴史を、より深く楽しむよすがにして頂ければ幸いだ。

実は目の前に、ボクシングのリングが……。


「(プロレス)デビュー当初は、お客さんが近すぎて怖かった。だけど、自信を付けてからは、ここの通ぶった客をどういじってやろうかと考えていたよ(笑)」天龍源一郎の言葉である。多くのレスラーにとって、後楽園ホールは、そんな場所なのかも知れない。何せ年間150以上のプロレス興行が開催。しかも会場の収納人員は、最大でも2,005人(※消防法で決められた最高人員。立ち見含む)。一度でも行ったことのあるファンならわかるだろう、どこでもリングサイドの気分が味わえるリングとの感覚的な近さ……。まさにプロレスファン好みの会場なのだ。もちろんレスラー側にとっても、利便性この上ない。会場はビルの5階なのだが、レスラーにとっての控室がある4階には、シャワー室はおろか、医務室も完備。さらに自販機もあり(※武藤がよく缶コーヒーを買う)、至れり尽くせり。控室以外の通路やコメントスペース(ただのベンチだが)は、逆に言えば選手以外、つまり、マスコミ陣のたまり場。シンクを思わせる洗面所は通路沿いにあるのだが、以前も書いたが、筆者はヒールターン後の飯塚が試合前、ここで歯を磨いているのを目撃。直後の試合で噛みつき攻撃をしているのを観て、なんとも言えぬ感動を覚えた思い出がある。

 因みに後楽園ホールは、そもそもがボクシングの聖地でもあり、そのリングは、いつでも組み立てられるよう、5階の客席サイドに常備されているって知ってました?「そんなの見たことがない」と仰るのは無理もなく、その場所は、北側の席の両サイド。ここに、プロレスの際はせり出しているステージ席があるのだが、実はこの下部にボクシングのリングが骨組みや鉄柱等、解体された形で鎮座している。同所でボクシング観戦の際は、北側両サイドのステージ席がなくなってることにも、合わせて注目して欲しい。

大日本プロレスに昼大会がない、もっともな理由!


 さて、その後楽園ホールのオープンは1962年の4月16日。ところがである。プロレスでの初使用は1966年11月25日と意外に遅い。これは、当時のメジャー団体である、力道山率いる日本プロレスが『リキパレス』という自前の会場を都内は渋谷に持っていたからで、つまりは他の会場を使う必要が無かったのである。しかし、力道山の急死とともにリキパレスも存続不可に。それがあった上での、日本プロレスによる後楽園ホール初使用となったのだった(メインはジャイアント馬場vsルイス・ヘルナンデス)。ついでながら、筆者が一介のプロレスファンだった1980年代も、後楽園ホールの観客動員数は、主催者発表で『3,500人』など、平気であったのだが、この日本プロレスの初使用時のそれは、『4,200人』。後楽園ホールは何度か客席を改築してはいるものの、流石にこれは無理があり、「後々まで、日本プロレスの観客動員発表は、目の数を数えたものと皮肉られることになった」とは、プロレスライターの長老、故・菊池孝さんの弁である。

 1972年3月に産声を上げた新日本プロレスも、もちろん後楽園ホールを使うようになるが、こちらも意外なことに、初使用は旗揚げから1年半後の1973年10月26日。今にしてみれば考えられないスパンの開きようだが、こちらにも事情が。前出の日本プロレスは日本テレビで中継されており、「他の放送局のプロレスは放映しないでほしい」と、当時の取締役が申し入れたのだった(※新日本は、今も続く『ワールドプロレスリング』でもわかるように、テレビ朝日系列で放映)。しかし、日本プロレスは1973年の4月に崩壊。新日本も使用出来る運びとなったのだった。

 実際、日本テレビと後楽園ホールの間に資本関係はなく、ただのビジネスパートナーとか。とはいえ、そういった過去もあり、関係は強固で、日本テレビ系の有名番組『笑点』はこちらで収録されているし、時によっては『仮装大賞』も。往年の日本テレビの名番組で言えば『スター誕生』も『お笑いスター誕生』もここで収録されていた。余談ながら、『笑点』の収録は土曜日の昼が多いのだが、「その日の夜に後楽園ホールで試合があっても、『早めに来ないように』と全日本プロレスからは言われてた。控室は『笑点』の落語家さん達が使ってるから」とは、天龍の弁である。若干ながらこれを彷彿とさせるのが、大日本プロレスの後楽園ホール使用。平日も含めた夜興行のみで、土日の昼に試合をすることは先ずない。デスマッチで使われた蛍光灯等の破片掃除に時間がかかるため、夜使う別団体に迷惑がかかりかねないからだそうだとか……。

 なお、先述のボクシングのリング話にかこつけて言うと、『笑点』を舞台を組む木材や鉄骨等は、西側と東側のヒナ段席の後ろに常備されてます。

叩き上げのスター選手たちが初陣!


 さてさて、その使用頻度から言っても名勝負、名場面にことかかぬ後楽園ホール。これを書き出すとキリがないので、最後は、後楽園ホールでデビューした、有名選手たちを以下に。ジャンボ鶴田(国内デビュー)、佐山サトル、大仁田厚、獣神サンダー・ライガー(素顔時代)、佐々木健介、小橋建太(バトルロイヤルでのプレ・デビュー)、秋山準、そして、同日の1999年10月10日デビューの棚橋、柴田勝頼、井上亘などなど。もちろん他にもいるが、特にメジャー団体においては、後楽園ホールでのデビューが一種のスタイタスとなっていることもわかるだろう。先の天龍の言葉を引けば、最初から針のむしろに座らされるようなものなのだが、それゆえに期待もかけられるということも、きっとあると思う。鶴田と秋山以外は、鳴り物入りでなかったことにも着目したい。叩き上げながら、マニアの視線厳しい同所での初陣を勝ち取ったということは、つまり、団体側の期待値も感じられるからである。

 後楽園ホールの2連戦で本格的にリスタートするノアだが、付言すれば、プロレスでの最多の連戦は1990年8月の新日本プロレスの7連戦。他にも、全日本プロレスがチャンピオンカーニバルで5連戦をおこなうなど(2007、2008、2011年)、やはり、今後ともプロレス史に銘記される激闘が数々生み出されることは間違いなかろう。

 もともと、後楽園ホールに隣接する庭園『小石川後楽園』から由来する同会場名。その『後楽園』とは、「先ず民のことを気にかけ、その楽しみを優先し、君主は後から楽しむべき」という、『先憂後楽』の精神から名付けられたとか。そんなイズム宜しく、ファンが第一に楽しめる場であって欲しい。その再びの幕開けは、もうすぐだ。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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