2020/3/27 20:41

記念日が出来た大物も!猪木もあの掛け声を英語で披露!ライガーも受賞!WWE殿堂特集!

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記念日が出来た大物も!猪木もあの掛け声を英語で披露!ライガーも受賞!WWE殿堂特集!
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猪木、藤波に続き、ライガーがWWE殿堂入り!


 新型コロナウィルスの猛威で開催が若干不安視されて来た本年の東京五輪。とはいえ、各スポーツ紙では、当然、展望やメダル予想、そして、過去をおさらいする記事で紙面を盛り上げている。となると、いわゆる、五輪内で起きた事件の類への再照射も多いわけだが、その一つに、2000年・シドニー五輪の男子柔道100kg超級決勝での誤審があろう。篠原信一が内股すかしをかけたが、それが技と認められず、逆に相手のポイントとなり、結果的に銀メダルに終わった出来事である。今では国際柔道連盟もこれを誤審とはっきり認めているが、メダルの色は変わらなかった。「試合が終われば、その判定は覆らない」という国際柔道連盟の規則があるためだ。この『世紀の大誤審』の記事を目にする度に、明確に思い出すリング内の光景がある。

 1997年12月27日、横浜アリーナで初めて、「UFC-JAPAN」のヘビー級トーナメントがおこなわれた。ところがその1回戦で、片足タックルを仕掛けた日本人プロレスラーがKO負け。タックルがダウンととられたのだった。明らかな誤審だった。すると、セコンドの金原弘光がリングに入り、同選手に厳命した。

「いいか!判定が覆るまで、お前は絶対にリングを降りるな!」

 そんな揺るがぬ抗議の結果、判定は『無効試合』とされ、同試合は再試合が行われることに。しかも、4人制トーナメントの片側の決勝進出選手が怪我をしたため、その再試合が、UFCの決勝戦として行われることに。そして、彼は次には勝利し、UFCで日本人として初優勝。「プロレスラーは、本当は強いんです!」との名言を残し、一躍、総合格闘技界での寵児ともなった。桜庭和志である。その後の活躍は書くまでもないが、よく思う。あの時、桜庭サイドが何も抗議せずリングを降りていたら、その後の日本における総合格闘技の歴史は、おそらく小さなものに変わっていただろうと。

 桜庭は、2017年にはUFCの殿堂入り。懐かしい『PRIDEのテーマ』に乗り、これまた懐かしい“サクマシン”のマスクをつけて受賞式に現れた桜庭は、プレゼンターを務めた男にこう紹介された。「俺も強い気持ちで戦って来たつもりだが、桜庭に比べれば、同じ太陽系にすら属していない。桜庭こそ、戦士の中の戦士さ」ドン・フライだった。最大級の賛辞であった。

 前置きが長くなったが、16日、日本マット界に朗報が届いた。獣神サンダーライガーが、猪木、藤波に続き、日本人として3人目のWWE殿堂入りすることが発表されたのだ。コロナウィルス禍でセレモニーの類がおこなわれないのは残念だが、前出の桜庭のUFC殿堂入り同様、大変な栄誉である。

 日本でも、2月20日に猪木、藤波、長州、天龍らによる『日本プロレス殿堂会』の設立が発表されたばかり。今回の当欄は、先んじてかつ、歴史もある、『WWE殿堂』について書いてみたい。

玉石混交の、アメリカのプロレス殿堂。


 そもそも、アメリカで“プロレスの殿堂入り”と言っても、その数は無数にあるのが現状だ。ミズーリ州セントルイスには、1947年から続くそれがあるし(ルー・テーズ、ジン・キニスキー、テリー・ファンクなどが選出)、もとより、猪木自体が、1995年に、当時のWWF(現WWE)の敵対団体、WCWの殿堂入りを果たしている。1998年には、老舗・全日本女子プロレスが30周年記念大会(11月29日・横浜アリーナ)をおこなうにあたり、女子プロ界の歴史に貢献した20人を殿堂入りとして発表。中には翌年急逝するジャッキー佐藤も入っており、振り返れば意義深い開催となった。これまた老舗のアメリカのプロレス専門誌「レスリング・オブザーバー」も殿堂入り選手を選出しており、これは専門誌らしく、読者投票によるもの。2009年にはマサ斎藤が選出。アメリカでの評価の高さを裏付けた。

 対して、WWEの殿堂(WWE Hall of Fame)入りについてだが、例えば2013年、こんなニュースがあった。「3月にWWEの殿堂入りしたブルーノ・サンマルチノは、居住する米ペンシルベニア州ピッツバーグの州議会から5月17日を『ブルーノ・サンマルチノ・デー』に制定するという名誉を得た。同日はサンマルチノがWWF世界ヘビー級王座を始めて奪取した日」。同じく、2013年、「WWE殿堂入りのザ・シークさんが地元の米ミシガン州ランシングの13年度『ザ・グレーター・ランシング・スポーツ殿堂』入りした。シークさんはミシガン州デトロイトの興行権を買い取り、同地の自動車産業の発展とともに地元を活性化。その名誉として殿堂入りが決まった」。2人ともWWEの殿堂入り後に、他の栄誉を勝ち得ている。因みに前述のセントルイスの殿堂入りをテリー・ファンクが果たしたのは、WWEの殿堂入りした翌年であった。これらは何を意味するのか?

 ズバリ言えば、世間へのWWEの殿堂入りは、世間への波及効果が他の殿堂の類と、まるで違うのだ。それもそのはず。授賞式は、『レッスルマニア』の前日。大規模な会場で催されるそれは、決して試合の添え物ではない。なぜなら、当日おこなわれるのは、式典のみ。にもかかわらず、入場チケットが発売され、当然のように完売する人気なのである。

大スケールで行われる、WWE殿堂入り授賞式


「なんで、僕なんでしょうね?」今回のWWE殿堂入りに際し、ライガーが口にした感想だ。確かに筆者も疑問に思う。ライガーがWWE系のリングに登場したのは、2015年8月のNXT大会のみ。WWEでの貢献度から言えば、同世界ヘビー級王座を日本で奪取し、何度もMSGでの定期戦に出場したアントニオ猪木や、WWFのジュニア王座を何度も防衛した藤波と比べ、遠く劣る。だが、気にするには及ばない。WWEの殿堂入り認定は、1993年から1996年までと、そこから時を置き、2004年から再開し現在に至るのだが、特にそのリスタートに当たっては、WWEに限らず、「プロレス界全体への貢献」を勘案した人選がなされているのだ(正式には2006年にバーン・ガニアが選出されたあたりから)。それどころか、2012年にはマイク・タイソン、2015年にはアーノルド・シュワルツネッガーも受賞。前者はWWEでレフェリーをしたことが、後者は長年のWWEファンであり、レスラーにパンチを食らわせたことがあったが……(2014年3月28日の『ロウ』でミズに対して)。先述のように、WWEの殿堂式典は、もはやイベント化しているので、そちらへの寄与という部分も見逃せないだろう。2009年に受賞したスティーブ・オースチンなどは4輪バギーで入場。そう、演出でも魅せるのである。

 とはいえ、やはり根柢にあるのは、受賞者へのリスペクト。例えば、藤波の受賞にあたりWWEで作成された動画では、「元NWA世界ヘビー級チャンピオン」と紹介。確かに藤波は1991年3月、リック・フレアーから同王座を奪取。しかし、試合中、オーバー・ザ・トップロープの反則があったことを指摘され、同王座を早々と返上せざるをえなくなったのだが。この“幻のNWA王者“の過去を刷新する粋なはからいは、まさにレジェンドへの敬意(因みに、授賞式出席のための航空チケットはもちろんファーストクラスで、ホテルもスイート。移動はリムジン。さらに、WWEがその受賞者の映像を使う際は、ロイヤリティーが生涯に渡って支払われるとか)。先に挙げたWCWも全日本女子プロレスは現在はなく、そのスケールや手厚さから言っても、プロレスの殿堂入りと言えば、WWEの殿堂入りを指すという状況が今後は続いて行くのではないか。

レガシー部門(日本人)では、力道山、ヒロ・マツダ、新間寿が受賞。


 日本人、そして日本ゆかりの受賞者の詳細に移ろう。2010年に受賞した猪木は、選出の一報に、「元気があれば、殿堂入りも出来る」と、らしい答え。本番の授賞式でもこんな猪木らしさは変わらず。「南極での大会を予定している。皆さんもペンギンの着ぐるみで着て下さい」と笑わせると、最後は英語で、「ワン、ツー、スリー、ダー!」。受賞後、この時のいで立ちを精巧に再現したフィギュアが発売されるという反響ぶりだった。

 なお、プレゼンター(現場での呼称はインダクター)はスタン・ハンセン。そう、その受賞者ゆかりの選手(主にライバル)が出て来るのだ。現に2011年、アブドーラ・ザ・ブッチャーが受賞した際は、テリー・ファンクがプレゼンターに。しかもテリーはマイクで日本でのブッチャーとの激闘について語り、その中には「(レフェリーの)ジョー樋口」の名も!2人のライバルストーリーの主な舞台はやはり日本であり、この部分でも、WWE側の誠実なリサーチと敬意が見てとれる。なお、この年は、ザ・ロードウォリアーズとマネージャーのポール・エラリングが受賞したが、式ではアニマル・ウォリアーとエラリングが、故人であるホーク・ウォリアーのミニフィギュアを中央に置き語り合うという、なんとも胸に迫るシーンが見られた。

 2015年、藤波の受賞時には、まさに前述のリック・フレアーがプレゼンターに。式後、藤波の息子(LEONA)がレスラーだと聞き、「俺の娘(シャーロット・フレアー)と結婚しないか?」と持ち掛けたフレアーだったとか。そして翌年には、スタン・ハンセンが受賞(プレゼンターはベイダー)。「数々の対戦相手たちがいなければ、私はここにはいない」と、まさに誠実そのもののスピーチをし、その名として、馬場、鶴田、天龍の名も挙げたハンセンだった。

 そこに来て、セレモニーが中止になったライガーに名を馳せる。もし存命なら、プレゼンターは確実に、新日本道場で寝食を共にし、リング上でも最高のライバルだったクリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)だったろうと。ベノワ自身は2007年、その自死に至る過程により、(あり余る実績がありながら)殿堂入りは果たせていない。2008年2月、実年齢43歳で、41歳のAKIRAとともに第20代のIWGPジュニアタッグ王座に輝いたライガーは言った。「このベルトを(ベテランの)自分たちが獲ったこと。誰より、橋本(真也・2005年死去)、ペガサス、エディ(ゲレロ。2005年死去)が喜んでくれてると思うんだ」。ライガーの今回の殿堂入り、誰より天国で喜ぶのはベノワだろう。

 プロレスの歴史は、決して個人でなされるものではなく、好敵手たちとの激闘の光芒に他ならない。産声を挙げたばかりの『日本プロレス殿堂会』がそれを重きに、良きものになるよう、願ってやまない。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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