2019/10/21 10:18

新日本マットでジャパニーズ・オーシャン炸裂!棚橋が女子に力負け!? ブシロードがスターダム買収!男女レスラー・リング同舟裏面史

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新日本マットでジャパニーズ・オーシャン炸裂!棚橋が女子に力負け!? ブシロードがスターダム買収!男女レスラー・リング同舟裏面史
4.8

10月17日、衝撃の発表!


 17日、衝撃の発表がなされた。株式会社ブシロードが女子プロレス団体、スターダムを買収。その傘下に置くことになったのだ。

 この噂自体は以前より業界を駆け巡っていたが、俗言によっては、『(スターダムとの)提携』であったり、『(新日本プロレス内の)女子部の設立』であったりした。なので、ここで一つの決定がなされたことに一種の安堵も感じるが、同時に気になることもある。新日本プロレス本体とのリングでの同舟があるのかという点だ。

 これについてブシロード・木谷高明取締役は、「国内での新日本の試合に女子が入ることはない。但し、お祭り的大会や海外の試合では入る可能性もある」と言明。実際、本年の新日本プロレス・MSG大会では(ROHとの共催ではあったが)、スターダムの岩谷麻優がWHO世界選手権の防衛に挑んでいる(ケリー・クレインに敗れ王座陥落)。読者の中には、現AEWのケニー・オメガが各媒体で語って来た言葉を思い出される方も多いかも知れない。「女子の選手の試合を大会に組み込まない新日本プロレスは、遅れている」(※大意)確かに、現在の世界マットは、大きなところほど男女の相乗りが基本ではある。だが、もちろん新日本がそうでないのも事実だ。

 果たして今回の決定により、新日本マットの様態はどう変わって行くのか。今週の当欄は、日本のリングにおける男子選手、女子選手の、同舟の歴史を精査。今後を占いたい。

“女子部”を作った国際プロレスだが……。


 先ず、最初に男女選手の相乗りが実現した例としては、古い話で恐縮だが、1967年旗揚げの、国際プロレスの例がある、ラッシャー木村やアニマル浜口を擁した同団体だが、どうしても地味なイメージが先に立ち、人気も停滞し、TBSでのテレビ中継も終了。1974年秋より、今度はテレビ東京での中継が開始されたのだが、そこで投入されたのが、『女子部』であった。経緯からわかるように、こちらは視聴率アップのために、テレビ局の意向でテコ入れしたもので、その実、当時の1時間枠の中継内では、女子同士の試合が1試合、ほぼ必ず入っていた。実のところ、この、国際プロレスのテレビ東京中継時代で、最も視聴率を稼いだのは、1976年4月19日放送の、小畑千代vs佐倉輝美であった(11.7%)。

 ところが、この女子部に意を唱えたのが男子側。男の職場に女子が入るなというような風潮は当時、今とは雲泥の差で根強く、国際プロレスの女子部には3人レスラーがいたのだが(小畑、佐倉、千草京子)、導入された翌年の1975年1月からは、テレビ収録がある関東一円の試合のみにお呼ばれして出場する形となった。また、あくまでテレビ局主導での起用だったため、「なぜ、国際プロレスの金庫から彼女たちのギャラを払わねばならないのか。テレビ東京が払えばいいではないか」と、口さがないことを言う者もいた。結局、女子部は、それこそ前述の小畑vs佐倉を最後に消滅。それが最高視聴率を取るわけだから、なんとも皮肉であった。

 次に男女がリングに同乗し、物議をかもしたのが、1988年12月3日、後楽園ホールにおける『ジャパン女子プロレス』の興行(後にJWPとLLPWに分派)。男子側は当時、1度目の引退をして4年の大仁田厚がグラン浜田と、メインイベントで対戦(なので、これが復帰戦。浜田が大仁田にフォール勝ち)。経緯は、2ヶ月前の試合で大仁田がデビル雅美のセコンドにつき、レフェリーを務めていたグラン浜田と乱闘になる形での決着戦。ジャパン女子の顧問を務めていた新間寿氏の意向の反映もあったかもだが、ジャパン女子の選手たちは、これに猛反発。決戦一か月前の11月7日の後楽園ホール大会では、神取忍が「ここはジャパン女子のリングなんだ、覚えておけよ」とマイクで怒り、風間ルミは、「私たちは男子と一緒に試合をするためにジャパン女子に入ったのではありません!」と熱誠のアピール。結局、当日の試合は2部構成になり、前段でジャパン女子の試合、後段で大仁田vs浜田がおこなわれることに(空手の試合2試合を含む)。現在も女子プロレスを支える山本雅俊リングアナが、「ジャパン女子はあくまでも女子プロレスの団体です。以後、男女合同興行を行うことはありません」と、試合前マイクを通して明言したのと、ジャパン女子勢に好試合が続いたのが印象的だった。そして、メインの大仁田vs浜田が始まる頃には、女子選手は全員、控室に戻ってしまっていた。つまり、この時点では、男子プロと女子プロは、完全に棲み分けられていたのである。それは、それこそ当事者が過敏になるほどであった。

FMWより、男女が同じ団体に。


 実は、この経緯が大仁田の団体、FMWに、間接的にも繋がっていた。筆者が3年半前、大仁田にしたインタビューを紐解こう。

「ジャパン女子での浜田戦は、ある種の掟破りだったんだよね。俺自身、やってて、(これは間違ってるな)と思いましたもん。ただ、そこを面白いなとも思った。俺がデスマッチ路線のFMWを進めたのは、格闘技路線をいっていたUWFに対する反発もあったけど、同様に、既成のプロレス界で、禁忌な部分を取り入れて行こうという狙いがあったんだよね。そうすれば差別化出来るし」

 事実、大仁田は1989年10月6日のFMW旗揚げ戦から、女子の試合をラインアップ(ウィッチ・ウォリアーvs土屋恵理子&里美和&松田久美子のハンディキャップマッチ)。以降、インディでは団体によっては男子と女子の同舟が定式化。天龍源一郎率いるWARですら、1993年11月28日に、LLPWとの2部構成の興行を開催(大和車体工業体育館)。その際、こんなコメントを残している。

「最近の女子の人気と試合内容は、無視出来ない」。

 当時の女子プロレスが対抗戦人気に沸いていたこともあるが、老舗団体ではない自由度がなせた技だったとも言える。というのは、その天龍は2000年に全日本に復帰。すると、2004年3月20日には、なんと北斗晶を帯同して同リングに向かったのだ。全日本プロレスに女子選手が上がるのはもっての他であり、この時、体を張って和田京平レフェリーが北斗の侵入を防ごうとした姿は、語り草になっている(後楽園ホール)。因みに、その和田京平を羽交い絞めにし、セコンドへの侵入を許したのは、ケンドー・カシンが扮した謎のマスクマン、BLUE-Kだった。

 一種の盛り上がるドラマと見れる向きもあるが、ジャイント馬場亡き後とは言え、やはり昭和から2大メジャーを貫いているその看板は、大変重い物だったのだろう。リングサイドから木刀を投げ入れようとした北斗に和田京平が激怒し、その木刀を北斗めがけて投げ返すシーンも。以降、ファン感謝デーの類で女子選手が上がることはあっても、通常興行では一戦を画している全日本プロレスである。

新日本プロレスに、全日本女子プロレス参戦!


 さて、新日本プロレスである。まさに業界の盟主だけに、女子選手が上がって試合をおこなった例は、極めて少ない。女子マネージャーの類を除き、国内で女子選手が同リングに上がった例は、おおまかに言えば、2つの例しかない。

 1つは2002年5月2日の東京ドーム大会に、全日本女子プロレス勢が上がったもの。これは新日本プロレスの創立30周年を記念し、他団体に門戸を開放した企画で、同時期、DDTや大日本プロレスも新日本のリングで試合を“提供”している。

 カードは伊藤薫&中西百重vs豊田真奈美&堀田祐美子(中西が豊田をフォール)。豊田が中西に宝刀・ジャパニーズオーシャンサイクロンスープレックスホールドを見舞えば、中西は体固めをブリッジで返す“女子プロ流キックアウト”も。こちらは、背景が背景だけに、ファンも素直に楽しんでいる部分があった。

 もう1つが同じこの年に上がった、元WWEの強豪女子レスラー、チャイナことジョアニー・ローラーのケース。まさに全日本女子の試合がおこなわれた東京ドーム大会で、猪木の傍らで初の新日本でのリング上挨拶。この時、乱入して来たタイガー・ジェット・シンを猪木に代わって(?)、返り射ちにしている。なお、この日来場した猪木の元妻・倍賞美津子と2ショット写真も撮っているが、この時の彼女の本来の目的はレフェリーとしてのもの。佐々木健介&棚橋弘至vsスタイナー・ブラザーズ(リック&スコット)のジャッジを務めたのだが、ハイレグ水着に身を包み、さりとて、棚橋がロープワークの際、ぶつかると、それを跳ね飛ばしてしまう剛健ぶりも。とはいえ、この時はレフェリーという立場もあり、あくまで賑やかしさながらのポジションであった。

 ところがこのローラー、約4ヶ月後の9月6日から、新日本プロレスにシリーズ参戦!男子選手を相手に激闘を繰り広げたのである。タッグマッチではあるが、外道、エル・サムライ等からフォールも奪っており、10月14日の東京ドーム大会では、蝶野との一騎打ちまでこぎつけている(フォール負け)。こちらはあくまで男vs女なので、リングでの相乗りとは違う事例ではあるが、個人的にはローラーの実力者ぶりもわかりつつ、実際に当たった以下の2選手のコメントが印象的だった。

「(ローラー相手に)誠心誠意、気持ちと体をぶつけることは出来ないですよ」(永田裕志)

「能力が高いのはわかる、だけど、男相手に急所打ちをするのはどうなんだよ。本当に男の世界でやりたいなら、その発想から無くした方がいいんじゃないか?」(中西学)

 以降、女子レスラーとは距離を置いて来た新日本プロレス。しかしである。このローラーの新日本参戦、実は時のオーナーである、アントニオ猪木の肝煎りであった。この年にオープンしたLA道場に、猪木自らローラーを勧誘。それが巡り巡っての新日本でのファイトとなったのだった。この際、ローラーは猪木から、こう激励されている。「あなたを、新日本がアメリカ進出する際の、目玉にしたい」

 元WWEのスーパースターであるという知名度からではあるが、今考えれば、示唆的でもある。先述のように、世界では男子と女子の混在興行は、もはや常道化。この傾向を無視出来なかったことを、木谷取締役もほのめかしている。時代の流れもあり、新日本のリングでスターダムが試合を提供することにファンのアレルギーはないとは思うが、その登場に、どういった意義を持たせられるかが、同舟においては一種のポイントになるのではないだろうか。もちろん、試合内容の高さも含めて。

 スターダムはれっきとした団体であり、個々の実力レベルも高い。新日本プロレスの躍進で、「プロレス人気復活」と喧伝されたように、恵まれた環境でより研鑽されることで、先ずは「女子プロレス人気復興」の旗手となることを期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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