2019/9/15 20:16

空中からビラ投下で興行妨害!? 高山善廣が興行戦争を一刀両断!“1・4&1・5”新日本とノアも激突!マット界『同日興行』特集!

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空中からビラ投下で興行妨害!? 高山善廣が興行戦争を一刀両断!“1・4&1・5”新日本とノアも激突!マット界『同日興行』特集!
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1月4日、5日、後楽園ホール2連戦が決定!(ノア)


 8月12日(月・祝)、東京都内のプロレス・ショップ『闘道館』に出かけた。筆者は、仕事に必要な資料を買いに行くためだったが、着いてみてびっくり。開店直後の朝11時にもかかわらず、既に相当数の客がいたのである。それも、友人と連れ立って来ている客が多く、なんとも賑わってる体であった。(なんだろう?こんなに朝早くから……)と思って気づいた。その日は午後3時より、両国国技館で、『G1 CLIMAX』の決勝戦が待ち構えていたのだ。もちろん、全ての客がそうとは言わないが、こちらの大一番を目当てに東京へ駆けつけ、並びに、同店に寄ってみたファンが多いように見受けられた(実際、新日本もののTシャツ売り場に人が群がっていた)。

 9月9日、ノアからインパクトある発表がなされた。来年1月4日、5日、後楽園ホール2連戦をおこなうというのである。言わずもがな、新日本プロレスの東京ドーム2連戦と全く同じ日程。1月5日は後楽園ホール側は昼よりの開催となるため、午後3時開始の東京ドーム大会との掛け持ちも可能であり、自然、冒頭の逸話を思い出した筆者だが、1月4日は互いに夜からの開始となるため、選択は迫られる。両日含めて言えば、まさにノアの武田有弘社長が今回の決定にあたり言われた、「規模は違えど、年始に東京ドームシティ全体がプロレスで染まれば、業界にとっても良い相乗効果が生まれる」挙行。もちろん、互いの刺激という部分では、興行戦争的な注目も、むしろあって然るべきだろう。

 今回の当欄は、この2連戦を鑑み、プロレス界の過去の(近隣会場における)“同日興行”にスポット。その盛り上がりや経緯も含め特集したい。

意外と少ない?新日本vs全日本の近隣同日興行


「同日興行」には。大まかに言って2つある。1つは、意図しないまま、たまたま興行が近隣でバッティングしてしまった件。そしてもう1つは、意図的に同日に近場の大会をぶつけるケース、いわば興行戦争である。特にプロレス団体が少なかった昭和の時代は、後者の事案が少なくなかった。とりわけ、1954年に力道山が興した日本プロレスに対し、1967年に国際プロレスが旗揚げすると、ほぼ一党独裁体制だった日本プロレス側は激怒。あえて国際プロレスのビッグイベントに、自身の大興行をぶつける、それこそ興行戦争に打って出たのである。前者を日本プロレス、後者を国際プロレスとすれば、目立ったものだけでも、1967年8月14日、大阪球場(20,000人)vs大阪府立体育会館(4,500人)、1968年1月3日、蔵前国技館(12,000人)vs日大講堂(6,300人)、1971年3月2日、蔵前国技館(9,000人)vs東京体育館(3,000人)などがある。括弧内は主催者発表の観衆だが、見ての通り、当時は馬場や猪木を擁していた日本プロレス側が圧勝。ただ、内実は相当の嫌がらせをしたようで、例えば、1968年1月は、大相撲初場所の準備で通常は国技館が借りられないところを、割増料金まで払って会場を借り、国際プロレスを“潰し”に。1967年8月の際は、日本プロレスがなんと前日、飛行機をチャーターして大阪に自身の興行の宣伝ビラを投下したというのだから恐れ入る。「誰がこれを掃除するのか?」という国際プロレス側の正論も空しく響いた。

 馬場と猪木が袂を分かち、1972年、新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げ以降、最も著名な興行戦争となったのが1975年の12月11日。新日本は蔵前国技館を使用し、猪木vsビル・ロビンソンを、全日本は日本武道館において『力道山十三回忌追善特別大試合』を敢行。ここで、力道山の直系の弟子にもかかわらず、同日に大興行を入れていた猪木に、全日本側、というより、力道山家側が激怒。力道山追善興行に参加出来なかった猪木は、力道山家から破門となった。とはいえ、どうしても猪木に出て欲しいなら、先ず、猪木の日程を優先するのが筋であり、いわば、これは、同日興行になったことで、全日本側が、あえて猪木に嫌がらせをしたという見方が定説化している。それより先に、猪木が馬場に対して、マスコミを通じて挑発する案件が、多々あったためでもある。「良い試合をすることが力道山先生への供養」とした猪木はロビンソンと極上の名勝負を展開。片や全日本サイドは、豪華外国人勢や国際プロレス勢の参加はもちろん、俳優の田宮二郎やタレントのコロンビア・トップもリング上で挨拶するなど、力道山の生前の親交をも表に出した華やかなものに。両団体のイズムの違いもはっきり出た興行となった。逆に言えば、大会場同士という部分では,これ以外の目立った両団体の近隣同日興行はあまりない。

 なお、この『力道山十三回忌追善特別大試合』の会場写真を30年以上経って見せられた猪木が、「なんだ、2階席、客、入ってないじゃないか」と大笑いしていたというエピソードがある。やはり猪木もなんやかかんや言って、先方の評判なり、成功度合いが気になっていたようだ。

えっ?IGFで、馬場&猪木vsブッチャー&シン!?


 1990年9月30日には、新日本が横浜アリーナ、全日本が後楽園ホールで興行。実はこの丁度30年前が、馬場、猪木がデビューした日。なので両団体とも、「デビュー30周年記念大会」ととりおこなったわけだが、新日本は午後の3時から、全日本は午後6時半から開催。なので、ハシゴをしようと思えば出来る状態にあったが、折しも当日は台風20号が接近。交通機関に乱れが出て、思うように移動出来ないファンが続出したようだ。当日、全日本側はメインで『馬場&ブッチャーvsハンセン&アンドレ・ザ・ジャイアント』を組んだが、その前のセミでは、『鶴田&田上vs三沢&川田』が45分時間切れの引き分け。新日本からハシゴしたファンはこの試合を途中からしか観れず。逆に言えば全日本に専心したファンにとっては、熱きプレゼントとなった。

 ところで、猪木と言えば、後年の自団体IGFの両国国技館大会を、2011年8月27日のプロレス・オールスター戦『ALL TOGETHER』(日本武道館)の同日にぶつけたことでも有名。しかも、本来なら8月26日だった両国国技館大会を1日ずらしたというから確信犯であった。結果は、新日本もIGFも、17,000人(札止め)、11,600人(札止め)の観衆を集めて大成功。とはいえ、IGF側は、猪木がジャイアント・シルバを傍らに、ブッチャー、タイガー・ジェット・シンと乱闘を行い、「馬場&猪木vsブッチャー&シン」のオマージュを見せたり、他、藤波vsミル・マスカラスの10分1本勝負や、蝶野vs長島☆自演乙☆雄一郎、がおこなわれるなど、むしろこちらの方が良くも悪くもバラエティに富んだ仕上がりに。猪木vsロビンソンの時と比べると隔世の感だが、これもまた、後年の猪木らしさか。ただ、互いに、「東日本大震災のチャリティ興行」ということを銘打っており、特に猪木側はバスをチャーターし、被災者の招待にも尽力していたが、そもそものその主旨からすれば、ここで興行戦争を行うのは、やや意図を理解し兼ねるものがあった。筆者はこの時、『ALL TOGETHER』を取材していたが、マスコミ間でIGFの話題は一切出ず(もちろん選手たちにも)。それが記者の総意ではなかったか。IGFに出場したケンドー・カシンが、「一つにならなきゃ。今から『ALL TOGETHER』、行って来ます」と人を食ったコメントをしたのが、唯一、同日興行を思い出させる発言だったような気がする。

東京vs戸田市(埼玉)の、ちょっと距離ある興行戦争!


 平成に入り、多団体時代になると、同日興行が多発。前述になぞらえれば、こちらは、やむをえず同じ日に近辺での大会になってしまった場合が多いように思える(1991年9月23日の新日本プロレス・横浜アリーナ大会vsFMW・川崎球場大会等。なお、観衆は18,000人、33,221人でどちらも札止め)。知られるのが2003年3月1日、三沢vs小橋をメインにしたノア・日本武道館大会(16,700人・札止め)と、長州vs天龍を旗印にしたWJ・横浜アリーナ大会(13,200人・超満員)の同日大会だが、WJ側は、団体設立から、なんと4ヶ月以上経っての旗揚げ戦。それというのも、大森隆男など、使う選手の去就の多くが直前まではっきりせず、ここまで延ばしての旗揚げ戦に。事実、当日の興行ではパンフレットが発売されず。代わりに、『スターターキット』というものが発売されたのだが、参加選手のカードが、トランプのように入っている仕様。後に聞くと、あにはからんや、「直前まで誰が参加するかわからなかったので、選手のプロフィールカードを足したり減らしたり出来るように」トランプもどきの様態になったそうだ。しかも当日は雨。客入りも、あくまで取材に行った個人的な見解だが、6割も入っているように見えなかった。因みに、三沢vs小橋の方は、お世辞抜きにプロレス史に残る名勝負。実況の矢島学アナと解説の高山善廣のかけあい、「今日来たファンは、大正解!」「その通りだな、矢島!今日、この試合を観ないファンは、アホだ!」は、もちろんこのWJの旗揚げ戦や、これまた同日都内で行われていた『K-1 MAX』を意識したものである分、忘れ難き名実況となっている。

 もちろん、今世紀に入っても、意図的に興行をぶつけるケースも。2004年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会の裏では、さいたまスーパーアリーナ―で、『ハッスル』が旗揚げ戦。そもそもハッスルは、総合格闘技イベント『PRIDE』の資金でおこなわれており、前年の大晦日に、同じさいたまスーパーアリーナで『PRIDE』がおこなわれてから4日後の開催。これに対し、ハッスルの旗揚げ会見(2003年12月4日)で、「プロレスだから、4日後でも大丈夫」というPRIDE側の榊原信行氏の発言に、小川直也や橋本真也が噛みつくという流れがあり、また、既成のプロレスを打破するという意味からも、この日を選んだのは有名だ。それこそ明確な興行戦争であったが、新日本が53,000人(満員)、ハッスルは23,327人(無印)と、老舗の圧勝に終わった。

 逆に、同日であることを利用するケースも。1998年5月1日の全日本プロレス初の地東京ドーム大会の日、埼玉県は戸田市スポーツセンターで大日本プロレスの興行も行われたが、すると、グレート小鹿社長は大会記念として、『TODAE DOMO』(戸田え どーも)Tシャツを発売。そう、『TOKYO DOME』になぞらえたもので、当日、全日本で発売された、『TOKYO DOME』Tシャツに、デザインも酷似していた。なお、この戸田大会は試合開始が若干遅れたのだが、それもそのはず。入口で小鹿社長が、来場したファン1人ひとりに、「ありがとう!」と握手で出迎えていたのだった。全日本初の東京ドーム大会は、無印ながら満員と言っていい53,800人、大日本の戸田大会は2,400人(超満員)の観衆が駆けつけたのだった。

 さて、今回の新日本、ノア、2連戦だが、新日本の方は器から言っても、当然ながらビッグカードを組んでくるだろう。そこで肝要になるのが、その時点でのノアらしさではないか?N-1の決勝が拳王vs杉浦に決まり、それを王者・清宮が待ち構える図式からすれば、重鎮・杉浦が時代を渡さぬことになるのか、それともフレッシュな2人が覇権を争うのか。11・2両国大会の結果も、あわせて注目となろう。

 幸い、前出のように、かけ持ち観戦が出来る余地もある。プロレス界全体のパワーを、年頭から感じ取りたい。



※9月14日より、拙著『プロレス鎮魂曲(レクイエム) (リングに生き、散っていった23人のレスラー、その死の真実)』(standards)が発売されます。ご興味のある方は、宜しくお願い申し上げます

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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