2019/8/4 11:30

優勝戦は映画館で中継!過去には優勝パレードも!最高潮!『G1 CLIMAX』特集!

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優勝戦は映画館で中継!過去には優勝パレードも!最高潮!『G1 CLIMAX』特集!
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プロレス界の、夏の風物詩!


 一口に“真夏の祭典”と言っても、種類はさまざまだ。オートレースでは『鈴鹿8時間耐久ロードレース』のことを言うし、毎年夏開幕の『都市対抗野球大会』でも、この冠がついていることが多い。だが、プロレス界で言うなら、この大会にトドメを刺すだろう。それが、現在開催中の新日本プロレス『G1 CLIMAX 29』。その数字でわかるように、今年で29回目を数える、プロレス界最大の夏の祭典だ。

 別名、“真夏の最強戦士決定戦”。その名の通り、リーグ戦(もしくはトーナメント)形式で最強の選手を決める同大会。つまり、優勝者はその時点での、新日本プロレスのNo.1選手の称号を得るわけで、いきおい、注目度も青天井に(“夏男”との異名を頂く場合も)。

 なので、その注目を利用する選手も。1991年、第1回大会優勝の蝶野正洋は、直後にドイツ人美女、マルティナさんとの結婚を発表。蝶野は第4回大会(1994年)の優勝では、自身の事前の下馬評の低さに怒り狂い、賞金ボードを真っ二つに割る暴挙を。その後、そのまま、悪役レスラー、通称、“黒蝶野”へと転身。今、大晦日のバラエティ『笑ってはいけない~』シリーズで見られる蝶野は、この時、産声を上げたと言って過言ではない。第24回大会(2014年)大会優勝のオカダ・カズチカは、必殺技・レインメーカーで勝利するごとに公益財団法人『がんの子どもを守る会』への寄付金3万円を積み立てる『レインメーカー基金』を発表している。

 今年は8月10日よりの日本武道館3連戦で大会がフィナーレを迎える『G1 CLIMAX』。今回はこの『G1 CLIMAX』を特集したい。

その圧倒的スケール!


 先ず注目したいのは、その圧倒的な大会スケールだ。第1回は、愛知県体育館で開幕し、一日の移動日を挟み、両国国技館3連戦で締めるという5日間で4戦というスタイル。両国国技館3連戦というだけでも最初から凄いのだが、それが今年に至っては、先述のように日本武道館3連戦をラストに、全19大会。しかも7月6日(土)におこなわれた開幕戦は、アメリカのダラスで開催というグローバルぶり。この大会の模様は東京・六本木の交差点にある大型ビジョンで生中継され、話題に。さらに、8月12日(月・祝)、日本武道館の最終戦でもある優勝決定戦の模様は、全国12カ所の映画館でライブ・ビューイングが決定。優勝戦のライブ・ビューイングが初めておこなわれたのは2016年なのだが、この時の会場は、東京・六本木のテレビ朝日の特設会場。しかも同社の夏祭りイベントの一環だった。つまり3年でこちらも完全にスケールアップしたと言えよう。

 なお、2010年より、新日本プロレスは映画館での試合の3D上映もおこなっていたのだが、『G1 CLIMAX』の優勝戦もこちらの方式で2014年まで上映していた。生中継ではなく、収録対応になるのだが、ムーブオーバー(上映延長)になる館もあり、これまた、『G1 CLIMAX』という大会の価値を感じさせた。

 また、1993年には同大会で、両国国技館の7連戦を敢行。もちろんプロレスでは未だ破られてない記憶であり、7日間の通し券なんてものも発売されたから驚き。2014年には、優勝決定戦を西武ドームで開催し、こちらは同優勝戦史上最多の18000人の観客を動員した。

 そこで気になるのが、来年2020年の『G1 CLIMAX』の決勝会場だ。というのは、同年はご存知オリンピック・イヤー。期間中は両国国技館も日本武道館も、五輪の会場とされてしまい、プロレス団体は使えないのである(※国技館はボクシングの、武道館は柔道と空手の会場として使用予定)。五輪開催期間が7月24日から8月9日のため、「それ以降であれば使えるのでは?」という見方もあるが、「望みは薄い」(関係者)そう。

 とはいえ、G1の優勝戦は、今まで見て来たように、まさに金看板。各種ドーム球場を含め、災い転じて福となすような、素晴らしい会場の利用実現も期待したい。

相次ぐ激闘。その代償。


 その大会形式だが、選手を2ブロックに分けてのリーグ戦が主流。決勝戦は、互いのブロックの最高得点者同士が戦う形となる。だが、これに関しても、第1回は各4人ずつの2ブロックだったのが、28年経った今年は、各10人ずつの2ブロックに。過去最高の参加人数になったのは、2014年の各11人ずつの2ブロック制だったが、連日、シングルマッチを戦うため、当然、その内容も身体的負担もハードに。「G1期間中のバックステージは、まるで野戦病院」というリングドクターの言葉も頷ける。大会中の負傷の歴史は、枚挙に暇がない。

 先ず、1992年優勝した蝶野正洋は、欠場こそなかったが古傷の首を負傷。車の運転席から出るのに30分以上かかるという重傷だった。優勝時のコメントの、「もう出ません、と言えれば楽になれたんだけど」が胸に迫る。1999年には、山崎一夫が脊髄損傷で最終日の越中戦を不戦敗。そして、翌年1月には引退。2005年には真壁刀義がカラ足を踏み、左アキレス腱を断裂。復帰まで5ヶ月を要した。見舞いに来た旧友たちが、たまたま遭遇した長州力に興奮している姿を見て、(俺自身が、友達が自慢出来るようなレスラーになってやる!)と、固く誓ったのだという。2007年には最終日に中邑真輔が負傷。永田裕志の放った雪崩式エクスプロイダーで、左肩から不自然な形で落下し、肩鎖関節靭帯断裂および脱臼で、レフェリーストップ負け。復帰まで3ヶ月を要する重傷だった。2009年にはその中邑の左ハイキックで棚橋が右目を眼窩内側壁骨折。翌日、3時間に及ぶ手術を受け、「目を動かすだけでも痛い」という深手となり、全治1か月。保持していたIWGPヘビー級王座を返上する憂き目となった。同じ2009年には天山広吉が脊椎管狭窄症と右肩亜脱臼により無期限の欠場扱いに。脱臼はリーグ2戦目の飯塚髙史のパイルドライバーによるものだったが、その後も数試合、怪我をおして出ていたことがアダに。復帰はなんと1年3ヶ月後。欠場期間中は引退という文字も頭をかすめた天山は、復帰戦で大号泣した。2013年には、遂に大会中の負傷欠場者が2人に。天山広吉が肋骨骨折のため、7戦目より不戦敗扱いに。後藤洋央紀は同じく7戦目、棚橋の張り手で顎を骨折し、以降は不戦敗扱いになった。

 このような背景もあり、それまでは連日、両ブロックの公式戦がおこなわれていたが、2015年からは、1大会ごと、交代交代に、1ブロックの公式戦を消化する形に。つまり、日によっては、別ブロックの選手は出場しないこともままあるわけだが、それでも大会の観客動員も人気も落ちず。言うなれば、『G1 CLIMAX』というブランドへの信頼と、個々に魅力ある選手たちの躍動の賜物と言っていいだろう。

 同時に、盛夏にトップ選手達がシングル・リーグ戦を行う大会は、世界的にも例がない。因みに全勝優勝を果たしたのは、1996年の長州力と2006年の天山広吉しかおらず(トーナメント制除く)、いずれも決勝戦含め、5戦を全勝という形だった。1ブロック10人を超えた近年では、なかなか難儀な記録と言っていいだろう。

 G1優勝者の称号が、常にその過酷さを受け切った事実とともにあることを、忘れずにいたいものである。

名言揃いの優勝者コメント!


 よって、優勝者には、“夏男”の栄誉の他、2012年より、団体の至宝、IWGPヘビー級王座への挑戦権が保証される権利証が付与されることに。挑戦の期日は、優勝の翌年の1月4日、東京ドーム大会と、舞台も豪華そのもの。ゆえに、G1後も秋から冬にかけて、この権利書を巡っても戦いがおこなわれることともなったが、いずれにせよ、翌年の東京ドーム大会との連動も楽しみな優勝争いだ。

 これにプラスし、優勝者への特典がつくことも。第2回大会では、昭和期には世界最高峰のベルトとされた『NWA世界ヘビー級王座』が復活し、こちらが贈呈されることに。2004年には、副賞として日本ゼネラルモーターズから提供されたキャディラックSRXで、優勝した天山広吉が両国国技館の周囲を一周。優勝パレードで沿道のファンの歓声に応えた。因みにこのキャディラック、会場の両国国技館内に駐車することが、優勝戦当日しか出来ず、それまでは、当時の新日本の執行役員だった菅林直樹氏(後に新日本プロレス社長。現会長)が、自宅近くの有料駐車場に停めていたそう。なので、「傷つけられないか、気が気でなかった」(菅林氏)とか。

 そして何より、今回もだが、激戦を勝ち抜いた優勝者たちが思わずこぼすコメントと、その後に注目したい。2007年に優勝した棚橋弘至は、「どの雑誌を見ても俺は、“次世代のエース”と書いてある。次っていつだよ!? 今じゃないのか!?」と咆哮。リング上での優勝インタビューでも、「必ず俺たちの世代で、プロレスをもう一度爆発させます!」とした。その後の棚橋を中心とした新日本プロレスの隆盛は、知られる通りである。

 2009年に優勝した真壁は、ヒール(悪役)の立ち位置だったが、優勝時のマイクで、「言いたかないけど……Thank youな!」と観客に対しツンデレぶりを披露。この「Thank youな!」は、後に真壁の評伝本のタイトルにもなっている。同じく後に残る名言としては、1995年優勝時の武藤の、「武藤敬司は、ますます爆進します!」も有名だ。2012年には、それまで試合後のコメントを常に「特にありません」で済ませていたオカダ・カズチカが、同大会初出場で初優勝。優勝にあたり、「特にありません!と!言いたいところだがな。オマエら、本物のレベルってのがわかったか?!(中略)いいか?俺から目を離すなよ!!」とマイクで絶叫したのも、ある意味、G1優勝の価値を裏付けるようで感慨深い。

 最後に、2013年と2017年に優勝した内藤哲也のコメントを。2013年優勝時に、「新日本プロレスの主役は、俺だ!」とした内藤だが、会場の反応は大爆発と至らず。その後も、なぜかファンからのブーイングにさいなまれる日々。大の内藤ファンで、会場には必ずかけつけていた母親も、身内の心苦しさからか、次第に来なくなってしまったという。だが、2015年、自らが奔放にファイトすることで逆にファンの支持を得て来た内藤は、2017年の優勝にあたり、再び「新日本プロレスの主役は、俺だ!」とマイク。前回とは打って変わった大歓声が彼を包んだが、内藤が密かに嬉しかったのは、この日、母親が数年ぶりに、「最近人気らしいね。本当なのか、観てみたい」と会場に足を運んでくれたことだったという。

 その後のプロレス界の主役を決めると言っていい真夏の祭典、『G1 CLIMAX』。優勝者の行方とともに、その未来も楽しみにしたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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