2019/5/12 11:53

新日本参戦は、あのレジェンドの慧眼!川田と命運を共にした真意!新NEVER王者、タイチ特集!

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新日本参戦は、あのレジェンドの慧眼!川田と命運を共にした真意!新NEVER王者、タイチ特集!
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5月3日、ジェフ・コブからNEVER王座奪取!


 なにげなく書いてある記事が、後に大きな意味を持つことがある。以前、現GHCヘビー級王者の清宮海斗が地元新聞に、僅か8歳の時に載っていたのをご紹介したことがあるが(※カブトガニを触った感想を述べていた)、今回はそれより、格段にプロレスに近い事例を紐解こう。以下は、往時の全日本プロレスがおこなった、一般ファン向けのプロレス合宿(『プロレス・キャンプ』)のレポートである(『週刊ゴング』2001年9月13日号より)。

『参加者は一般公募の中から馳(浩)が厳選した若者8人。北は北海道石狩から、西は四国の高松までプロレスラー合宿を体験したいという社会人や学生さんが5万円の会費を払って参加した』

 ピンと来た読者は、今回のテーマの選手の熱烈なファンと言ってもいいだろう。この時、『北は北海道石狩から』参加した一般ファンこそ、現新日本プロレスのタイチ。彼の元のリングネームは石狩太一であり、これは故郷の北海道石狩市をゆかりに名づけられたもの。この時のプロレス合宿が縁で、タイチはプロレスラーへの道筋を掴んだのだった。

 今、タイチが熱い。さる5月3日、新NEVER王者になったかと思うと、「闘いたい相手」を匂わせ、結局、石井智宏を逆指名。5月7日の「タカタイチ興行」では、「10日違いデビューの相手」として田口隆祐とドラマティックな熱戦を繰り広げ、勝利。ボスと仰ぐ鈴木みのる同様、その注目あいまり、自ら流れを作り出せるレスラーへと変貌した感がある。さすれば、このタイチのレスラー・ストーリーを今一度顧みる絶好の機会ともいえよう。今回の当欄は、このタイチの、流転のプロレス人生を辿りたい。

実は元パンクラシスト?


 1980年3月生まれ。プロレスファンになったのは中学1年時の1992年。当時のプロレスの興行人気は凄まじく、現在と同じ多団体時代とはいえ、それらの団体が独立独歩出来ているところに、現在との違いがあった。選手の貸し借りなどは余りなく、したがってタイチも、全ての選手、全ての団体を知るために、「札幌に来た団体は全部観に行っていた」という。

 当然のようにプロレスラーに憧れ、自己流トレーニングで研鑽を積み、中学3年時に北海道でおこなわれたパンクラスの入門テストを受けると、なんと彼1人だけ合格。とはいえ、これもこの時期のレスラー志望者がぶつかる壁だが、親の反対に遭い、結局、進学することに。アマレスの強豪校に入り、道内準優勝の好成績を収めるも、この時の寮生活の余りの厳しさが一種のトラウマに。大学ではアマレス部を選ばず、中退し、プロレスラーへの夢も諦めてしまった。

 以降は、パチンコ屋の店員から、「打つ方が楽しい」と、パチプロへと変貌したというから、どれほど野放図な生き方だったかがわかるだろう。しかし、そんな生活も長く続かぬ中、目の当たりにしたのが、出だしの「プロレス合宿」の記事だった。収入がなかったため、交通費や会費は両親に頭を下げて借りた。

 流れ的に、ここで素質を見込まれたのかと思いきや、大違い。先ず、2泊3日の合宿予定を、1日延長してもらうように頼み込み自らを印象付け、合宿が終わると馳に連日の電話攻勢で全日本プロレス入りを直訴。「75kgの体重を、1年で10kg増やす」ことを条件に、『練習生見習い』として入門を果たした。父には、「戻って来ても、家の敷居はまたがせない」と言われたが、やむをえなかった。

 デビューは2002年の12月2日。欠場者が続く中、突然、翌日のデビューが決まったのだった。この時の体重は80kgだったので、馳との約束は果たしていなかったのだが、決して幸運なだけの初陣ではなかった。なぜならその時、既に同期の2人は逃げ出していたのだ。タイチ自身も、練習や雑用の厳しさから、「何度逃げ出そうと思ったかわからない」。執念と我慢と根性が生んだデビューだった。

スーパーJカップでは全日本代表に(2004年)


 デビュー戦は渕正信に敗れたが、残したコメントは、「渕さんのように、ジュニアで不動の地位を築きたい」と、現在の面影もなく、実直そのもの。筆者はタイチをデビュー直後より観る機会に恵まれていたのだが、スワンダイブのドロップキック等、その技の躍動感の素晴らしさはもちろん、驚いたのが女性人気。20代前半のタイチに、それこそ、それより年下の、おそらく女子中高生の類が多数、ピンクや水色の紙テープを投げていたのを思い出す。考えてみれば、この時の全日本プロレスの長である武藤が口を酸っぱくして馳に言っていたのが、「先生、ジャニーズみたいな顔の若手選手、スカウトして来て下さいよ」。……どこか初々しさが残るタイチの風貌は、まさにこの路線向け。デビュー4日目で日本武道館でカードが組まれたかと思えば、2004年2月の『第4回スーパーJカップ』(大阪プロレス主催)には、全日本プロレス代表として出場。順調にそのキャリアを積んで行くものと思われた。

 ところが、タイチは2005年、全日本プロレスを退団。付け人を務めていた川田利明が退団したためであった。

 川田と命運をともにする覚悟で主戦場にしたのが、ハッスルのリング。しかし、エンターテインメントそのもののスタイルは、デビューして3年のタイチにとっては、まるで刺激のないように思えた。意を決して、川田に、そのもとを離れる決意を直訴。川田の了承を得、2006年5月13日、新日本プロレスが主催するリングに上がる。しかも、名うてのプロレス名人、邪道、外道とトリオを組む形で。だが、用意されたリングネームは、『北海道』。タイチが上がったのは、新日本が実験的にエンターテインメント路線を標榜したブランド『レッスルランド』の第1回だったのだ。

 試合前のスキット映像では、邪道、外道に、「今日組むパートナー、知らない」とされ、試合では、タッチを受けた途端に即敗北。そういう狙いだったのはわかるが、“笑いの出るプロレス”だった。しかし、2回目の『レッスルランド』を経て、7月17日に、別ブランドでない、本流の新日本プロレスに初登場。コネクションが活きた形となるが、会場は、札幌の月寒グリーンドーム。パートナーは平澤光秀に宇和野貴史。2人は札幌出身だ。そう、地元・北海道出身の選手として呼ばれたのだった。同じく北海道(室蘭市)出身の飯塚高史の試合後の総評「今日は素直に良くやった、地元ということで3人とも気合が入っていた」が、良くも悪くもこの時のタイチの位置づけを物語っていた。

 以降、バイトをしながら、細々と本隊のリングに上がり続けるタイチ。ある地方会場で、時の現場監督、長州力に呼び出しを食らう。おっかなびっくりで相対すと長州は言った。

「凄くいいですよ!これからは、ドンドンうちの若い選手とやって下さい!」

 しばらくして、タイチはバイトを辞めた。以降、新日本の全戦に出場出来るようになったのだ。

「今日、やれたことは、一生の宝物」(タイチ【石狩太一】・天龍戦後)


 タイチは2003年6月8日、全日本を退団する天龍の対戦相手を務めた。前項のように、まだ前年の12月にデビューしたばかりながら、果敢に張り手、低空ドロップキック、ミサイルキックでタイチは猛進。しかし、天龍の逆水平チョップに体ごと持っていかれるように倒され、場外では机をぶつけらられ、最後は4分33秒、パワーボムに沈んだ。昏倒しているタイチを引っ張り上げ、握手をしようとする天龍。ところがそれをタイチが両手で握ろうとするといきなり往復ビンタとラリアットを見舞い、再びKOしてしまった。以下は試合後の天龍のコメントである。

「受けてからがプロレスですよ。ちょっとモノ足りなかったから、もう一回、石狩太一(※当時)と対戦したいね。あの野郎、ちょっと遠慮したんじゃないか。アイツが、とことん参りましたというまで、やってみたい。……頑張りましたよ」

 デビューして半年にもかかわらず、天龍にこう言わしめたタイチ。同じく試合後、印象的なシーンがあった。ボロ雑巾のようにされたタイチに、退場時、セコンドの先輩たちが肩を貸そうとした。だが、タイチが自らそれを振り切った。そして、自力で控室に帰って行った。

 ハッスルが主戦場になるのをわかっていながら、一時、師匠の川田と行動をともにしたタイチ。理由を過去、こう語ったことがある。「全日本プロレスから、あの、川田さんの当たりの強いプロレスが無くなったら、もう全日本プロレスではないと思ったから」

 2010年7月17日、偶然にも4年前、初めて新日本本隊のリングに上がった日に、タイチは新日本のメインに登場。会場は『北海道・サン・ビレッジいしかり』。そう、タイチの地元だった。棚橋、真壁と組み、中邑、飯塚、外道と対し、最後は自らが外道を下したタイチは、試合後、マイクで言った。

「石狩市の皆さん!プロレス、初めて石狩に来ましたが、こんなにご来場下さって、本当にありがとうございます!これも全部、血と涙と汗を流しながらチケットを売ってくれた親父のおかげだと思っています。親父、ありがとう!みんながさ、また見たいんだったら、また石狩でやろうよ!今日はどうもありがとうございました!」(※翌年も同会場での興行は開催)。

 マイクにあるよう、駆け付けた父・憲夫さんとは、この大会の3日後に、石狩市役所まで一緒に挨拶に出向いた。その際、タイチは、こんな言葉を残している。

「石狩で試合をする時は、いずれはチャンピオンベルトを持っているようにしたいですね」

 機は熟した。冒頭に述べたように、NEVER王座は、完全にタイチを中心に回り始めた。長州の薫陶を受けた石井との防衛戦を、今から楽しみにしようではないか。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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