2019/5/3 17:47

みのるがマスクマンでライガーと共闘!? 17年前に出していた、ライガーの引退条件! 激突!? ライガーvsみのる

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みのるがマスクマンでライガーと共闘!? 17年前に出していた、ライガーの引退条件! 激突!? ライガーvsみのる
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ライガー&田口&タイガーマスク&YOSHI-HASHIvsみのる&金丸義信&デスペラード&TAKAみちのくで激突!(5月3日)


 改元もあり、未曾有の10連休となった今年のゴールデン・ウィーク。プロレス界でもさまざまな試合がおこなわれるが、中でも注目されるのが、新日本プロレスの福岡国際センター大会。九州地区でも名うての大会場ながら、5月3日、4日の2連戦として行われるのだ。オカダvsSANADAのIWGPヘビー戦(4日)、ドラゴン・リーvs石森太二のIWGPジュニア戦(3日)など好カード揃いだが、わけてもエキサイティングな内容となりそうなのが、初日の第2試合の8人タッグマッチ。獣神サンダー・ライガーと、鈴木みのるが激突するのである。

 来年1月での引退を発表しているライガー。これに噛みついたのが鈴木みのるだ。4月24日、後楽園ホールでおこなわれたライガーのデビュー30周年記念試合で、6人タッグで激突。すると、鈴木が試合前、ライガーにオープンフィンガーグローブを投げかけ、総合ルールでの対戦を要求したのだ、曰く、「おい、ライガーよ。お前あのとき言ったよな?『2年くらい時間よこせ』って。オイ、いつまで待たせんだよ?」と。

 いったい、この2人に何があったのか。今回の当欄は、出会いから、知られざる共闘計画まで、この2人の歴史を辿りたい。

1987年、新日本に入門したみのるに、海外から電話が?


 もともと、新日本育ちの2人。ライガーが最初にみのると話したのは、意外にも国際電話でだったという。素顔時代のライガーがイギリスで修行中、船木誠勝(当時・優治)に用事があり、道場に電話したところ、鈴木が出たのだった。「今度新しく入りました、鈴木みのるです」「ああ、頑張ってね」87年8月のライガーの帰国以降が、あらかじめ、船木を含めた3人で行動することも多くなった。もともと、船木とライガーが仲が良く、ライガーが海外に渡航後は、船木がみのると仲を深めたため、そのトライアングルが出来たのだった。3人とも藤原喜明に師事した、スパーリング大好き仲間という側面もあった。

 1987年6月にデビューしたみのるは、1989年4月に第二次UWFに移籍。同年1月に、素顔のライガーは再渡英するが、この時、まだ新日本在籍だったみのるは泣いたという。「いなくなって、寂しいじゃないですか!」ライガーはこう返した。「いいから、お前は藤原さんと練習しておけ」みのるのUWF移籍とほぼ同時に、藤原も同団体に移籍していたのは、偶然でもなんでもないだろう。

 なお、この素顔時代のライガーと、みのるの対戦はなし。みのるがUWFに移籍したのと同月の(4月)24日にライガーはマスクマンとして東京ドームでデビューするが、このデビュー戦を、みのるは船木と生観戦している。実はUWFのトップどころである前田日明と高田延彦も同大会を観戦に訪れているのだが、2組の席は別。前田は目的を、「ドーム興行の確認のため」と語り、船木は曰く、「ライガーのデビュー戦を観に来ました」。なので、船木と鈴木は、純粋にライガーの初陣を称えるため、訪れたのだろう。3人の絆も伺われよう。

みのるは第二次UWFから1993年、パンクラスを旗揚げ。


 以降、10年以上、公での接触がなかったライガーとみのる。だが、02年、事態は急転する。もともと、新日本プロレス、バーリ・トゥードを主体とした新イベント(大会)にて、みのるが同期である佐々木健介と一騎打ちする計画がなされた。これにはライガーにも話が持ち掛けられたが、ライガーは、「俺たちはバーリ・トゥードをやるためにプロレスをしてるんじゃない!馬乗りになって顔面を殴っても、人を感動させることは出来ない!」と猛反対。結局、このイベントは無しとなったが、すると、みのると健介の対戦が、今度はパンクラスでおこなわれる案が浮上。日程も11月30日に決まったが、これを健介が、新日本を退団するという形をとって、固辞(10月7日)。ほどなくして健介は長州の新団体WJに移籍したため、引き抜きも噂されたが、少なくとも中止の背景に、健介自身の気持ちを無視した、当時の新日本プロレスのフロントのスタンドプレーがあったのも事実だったようだ。

 だが、急激な形でのキャンセルだったため、既に作成に入っていたポスター、パンフレット、記念Tシャツも含め、パンクラス側の損害は1千万円を超えたという。なにより、この一戦を楽しみにしていた鈴木みのるの気持ちが、宙に浮くことになった。そこに一本の電話が。ライガーだった。

「試合、したいだろう?俺でも良ければ、(健介の代わりに)俺がやるから。な、いいよな!じゃあな!」

 唐突な電話に面食らったみのるだったが、改めて団体(パンクラス)にライガーの言葉を持って打診。みのるが、改めてライガーに連絡を取り、2人の対戦が決まったのだった。その際、ライガーは電話でこう言ったという。

「健介戦に賭けていたお前の気持ち、どこに行くんだって。俺しかいないと思うんだよ。俺だったら(お前を)受け止めてやれるよ。健介みたいに強くなくて、弱いけどさ。一所懸命準備するからさ。まかせろ!俺が受け止めるから!」

 中でも、感動させたのは、以下の一言だったという。

「このままで、新日本プロレスが逃げたみたいに思われるのも、俺は嫌なんだよ……」

「俺の知ってるライガーさんはそういう人。道場破りがやって来たら真っ先に手を挙げる人」とは、みのる戦に名乗りを挙げたライガーに対するパンクラス(当時)、船木誠勝の所感である。

パンクラス無差別級ルール、5分3ラウンドで、初激突も……。


 加えて船木は、こうも語っている。「昔から極め合いも大好きで、一番やってた人」。もともと、第二次はおろか、第一次UWFからも勧誘の類があったというライガー。その道場での実力である、“隠し持ったナイフ”を見せられるかが注目された。

 当日の会場である横浜文化体育館は5,900人・札止めの観衆が集結。ライガーは目と口が大きく開いたマスクと上半身裸の、“戦闘仕様”(※当時の週刊プロレスより)のコスチュームで登場。この大一番を前に、試合前は何度も脈拍を測った。ほぼ100の近似値で、正常値だった。平常心で臨めるところまで、対パンクラス用の特訓を積んだという自負があった。セコンドには、当時の新日本プロレス所属だった成瀬昌由と、各種アマレス選手権での優勝歴を誇る、矢野通がついた。

 ゴング直後、浴びせ蹴りを見舞うライガー。だが、みのるにすんででかわされ、グラウンドで上をとられる。「体が自然に動いた。みのるが一歩下がるのかと思ったら、そのままっ前に出て来てのっかられたのは誤算だった」とライガーは語る。結局ライガーは、1分48秒、チョークスリーパーに敗れた。

 印象的なシーンがある。上になり、その強烈さにグローブの皮がはがれるほどのパンチを連打したみのるだが、ライガーは、時に笑顔を見せていた。そして、後にみのるが、この時、上に乗った瞬間を述懐。新日本プロレス時代の先輩でありつつ、同リングでは結局戦えなかったライガーを下に、こう呟いた。
「夢、みたいだな」

 すると、ライガーがこう答えたという。

「俺もだよ!」

 試合後、みのるはマイクを取り、言った。

「ライガーさん、ちょっとだけ(ナイフが)錆びてましたね。でもやっぱりあんたは最高だよ!世界の獣神サンダー・ライガーだよ!ありがとうございました!」

 ライガーもマイクで、こう返礼した。

「もう一回やろう。このままで済むかい!だが、すぐやったらこんな目に遭っちまうから2年後くらいに余裕を持って。そしたら次はぶち殺してやるから!」

17年前の、ライガーの誓い


「おい、ライガーよ。お前あのとき言ったよな?『2年くらい時間よこせ』って。オイ、いつまで待たせんだよ?」冒頭、4月24日の後楽園ホール大会。みのるは続けて言った。それともなにか?『体力が衰えて怖いからもう貴方とは出来ません』?そういうことか?どうすんだよ」ライガーに異論がある筈がない。

 2003年にみのるが新日本に上がるようになってからは、たびたび絡んでいる両者。2012年12月23日には、10年ぶりの一騎打ちをおこなっているが、こちらもみのるが快勝。ただ、ライガーも浴びせ蹴りを2発目でヒットさせ、意地を見せた。ヒールユニット『C.T.U』でライガーが闘っていた際は、みのるがやって来て、参加をほのめかしたという。曰く「『マスクドCTU-M』という名前でやりたい」ライガーが、「Mは、(ストロング)マシンさんがいるからダメ」と却下すると、みのるはこう食い下がったという。

「じゃあ、『マスクドCTU-み』でいい」

「“み”かよ!」

 2人は大笑い。

 私生活でも接点があり、ライガー宅から足を延ばし、佐賀で釣りをしたことも。実はライガーは、みのる戦を機に新たに学んだ技術に興味を感じ、柔術を学び始めていた。今では紫帯(※弟子を取れるレベル)の持ち主であることは、以前の当欄で述べたが、この、柔術修得をみのるに告げると、こう聞かれたという。

「えっ?なんのために?」

「お前をブン殴るためだ!」

 17年前となる、2002年11月30日の初の一騎打ち。鈴木の拳で目を腫らし、内出血もあったライガーだが、その翌日には、普通に新日本プロレスの巡業に参加。6人タッグを終えると、前日の闘いについて聞かれ、こうコメントを残した。

「俺は俺で、昨日の屈辱を晴らす。絶対に逃げも隠れもしない。だから鈴木みのるに伝えておいてくれ。『それまで引退するな』と。(中略)絶対アイツからタップとるまでは、俺は現役を引退しないから!」(2002年12月1日・京都市体育館)

 3度目の一騎打ちは、待ったなしかも知れない。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 2012年のシングルに言及してくれたのは嬉しいです。
    某サイトの最近の両者の遺恨の記事では2002年以来シングルは行われてないと書かれて「オイ!しっかり調べて書け!(怒)」と思ってたので。

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