2019/4/14 12:09

本間の東スポ1面奪取に貢献!人生をはかなんだ入場とは!?衝撃の復活記念!ザ・グレート・ムタ サプライズ名鑑!

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本間の東スポ1面奪取に貢献!人生をはかなんだ入場とは!?衝撃の復活記念!ザ・グレート・ムタ サプライズ名鑑!
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MSGで、ライガーと対峙!


 さる4月6日、大成功を収めた新日本プロレス・MSG大会。そこで最もサプライズを感じさせたのは、第0試合におこなわれた時間差バトルロイヤルだろう。参加者の30人目に、ザ・グレート・ムタが登場したのだ。昨年3月25日のDDT・両国国技館大会以来、欠場を続け、この日の昼、行われた米団体「HOG」のニューヨーク大会で復帰。その余勢を買っての、驚愕のリングインとなった。以降、ムタの代理人の武藤の元には、「(ムタに)サイン会だけでも来てくれ」というオファーが、全米各地の団体から殺到してるとか。

“レジェンド”、獣神サンダーライガーの出場が注目された同バトルロイヤルだが、ムタと言えば、修行時代や一時期は全米を主戦場にしていただけに、そのインパクトはより強い。「全米の、どの会場も満員に出来た日本人は、マサ斎藤、ザ・グレート・カブキ、ザ・グレート・ムタだけ」とは、古参の海外通信員の言葉だが、今回の突然の降臨も、まさにミステリアスな魅力溢れるムタの面目躍如。その妙味を十分に見せつけたと言えるだろう。

 今回は、待たれる日本マットでの復活を鑑み、そのムタが起こして来た、サプライズの歴史を辿り、特集したい。

1990年、サムライ・シロー(越中詩郎)戦で日本デビュー!


 1990年9月7日に日本デビューしたムタだが、以降、先ずはまさにその登場で、観客の度肝を抜いて来た。地上波中継もされた『ハッスル・エイド2007』(2007年6月17日・さいたまスーパーアリーナ)では、RGがこするランプの中から登場。とはいえ、かのおとぎ話にあるように、いくらこすっても出ては来ず。業を煮やしたRGがランプを入場の花道に投げつけると、噴煙が上がり、ムタが登場するという二段構えだった。同じく『大みそかハッスル祭り2007』では、試合途中に、花道を突き破り出現。“地獄からの使者”を印象付ける登場だった。

 これらは、大がかりなエンターテインメントを標榜していた『ハッスル』ならではと思いきや、ムタ登場草創期の新日本プロレスも負けてはいない。1991年9月(23日)の横浜アリーナ大会では、現プリンセス・テンコーのイリュージョンと共演。先ず、会場北側に、大砲に乗ったムタが登場。ついで会場南側に、対戦相手として、檻に入った藤波が登場。そこに敷布がかけられ、合図とともに大砲が発射され、敷布が上げられると、檻の中はムタにすり替わっていた……。

 しかし、おそらくムタの歴史上、もっとも手間というか、本人の労力を要したのが、1990年9月30日の、同じく横浜アリーナ大会。なんと天井から吊るされて入場して来たのだ。アイデアとしてはシンプルだが、後日、代理人の武藤に言わせると……。

「あれさあ、開場前から、あの天井の裏でスタンバってたんだよな。下を観たら、みんなが試合をしててさ。それ観ながら、何時間も待たされて。『俺、ここで、何やってるんだろう?俺の人生って、いったいなんなんだろう?』って、ガラにもなく考えちゃったよ……」。なお、この時の試合のリッキー・スティムボート戦の評価は芳しくなく、その苦悩がそのまま出ていた!?

 プラス、希代の立役者だけに、去り際も見事。“毒霧対決”となったTAJIRI戦では、勝利後の会見場の長机にグリーン・ミストを吐きかけると、指でそこに以下の文字を書き残した。『LOVE』。日付は2006年8月27日。その後も続くことになる大会『プロレスLOVE in 両国(国技館)』の、記念すべき1回目だったのだ。同じく、『プロレスLOVE in 両国vol.13』(2011年10月23日)では、アイドル、ももいろクローバーZがペイントした様相の別グループ『グレートクローバーZ』と共演。試合後は、「アイ・ラブ・モモイロ」と呟いていた。

ムタ→武藤への変化も!


 お次は、さらに手の込んだ登場を。1994年4月4日に行われた、長州&天龍vs武藤&蝶野では、武藤が天龍にペットボトルの水までかけられ蹂躙。挙句、「武藤じゃ役立たずなんだよ!ムタで来い。ムタで!」とマイクで挑発されると、武藤は花道を通って控室へ帰還。蝶野が1vs2で攻め込まれ、勝負がつくと思われた瞬間、ムタとして再登場。その間5分の変身劇に会場は大爆発。勝負は長州が蝶野をフォールしたものの、すっかり場を奪い取ったのだった。

 同じく、武藤→ムタへの変身が観られたのが、1997年3月20日の愛知県体育館。武藤、橋本、佐々木健介を中心とする正規軍と、蝶野率いるnWo軍がイリミネーション・マッチで戦ったが、武藤は事前に蝶野から、nWo軍への勧誘を受けていた。その武藤は試合中、当の蝶野にムーンサルト・プレスを炸裂!だが、なぜかカバーに行かず、橋本、健介からなじられる。すると、武藤は控室に直帰。再び現れた時にはムタとなっていた。そして橋本に毒霧。果たして、ヒール軍団のnWo入りかと思いきや、ムタは蝶野にも毒霧噴射。選手も観客も煙に巻き、またも場を持って行ったのだった

 この翌月、ムタはnWo入りしたが、衝撃が襲ったのが、その5か月後の9月23日(日本武道館)。その3日前、nWo軍の天山と組んだムタは、試合中、味方の天山に毒霧を噴射。結局、孤立した天山が3カウントを聞く中、ムタは自分の両手で、そのペイントをむしりとり、素顔、つまり武藤敬司そのものを見せる怪行動に。そして迎えた日本武道館大会、蝶野と組み、健介、山崎一夫と戦ったムタは、試合途中で案の定(?)、仲間割れ。控室に帰ってしまう。そして数分後、登場したのは、武藤敬司!ペイントを奇麗に落としただけでなく、それまでのムタの黒のロングタイツ姿から、まさに当時の武藤敬司の正装の、オレンジのトランクス姿。リングに帰還するや、蝶野を睨みつける。しかし、次の瞬間、武藤は健介にドロップキックを炸裂。ムーンサルトへと繋ぎ、健介をフォール。蝶野とハイタッチをした。ムタでなく、武藤敬司が、nWo入りした瞬間だった。

 この出来ごと一つとってみても、ムタの千両役者ぶりがわかろうものだろう。

祝?本間、東スポ1面奪取!


 さて、今回のMSG決戦で相対したライガーとの一騎打ちも伝説化している。この一戦、当時のビデオシリーズ『闘魂Vスペシャル』の『vol.22』に収録されているのだが、本来なら、1994年の9月26日、神戸で行われるはずが、その2日前の試合中、ライガー左足を複雑骨折し、中止に。既にビデオ収録されることは決まっており、ライガーはシルバーのコスチュームで同商品のジャケット撮影まで済ませていたが、やむなくの処置となった。

 そして、怪我も完治し、そこから約2年後の10月20日、ところも同じ神戸で、改めて同一戦が決定。ライガーは、シルバーのいで立ちで登場。それは、2年前、まさにジャケット撮影に使用したものであった。付言すれば、前出のライガーの骨折事故の試合は、『闘魂Vスペシャル』の『vol.23』に収録されている。……ん?ということは、『vol.22』の、2年前の試合が、続く、『vol.23』に収録されていることになる。実は、ムタvsライガーの中止を惜しんだビデオ会社が、いつかこの一戦が行われることを願い、『vol.22』を欠番扱いとしていたのだ。

 そんな沢山の思いがつまった同一戦は、ムタがライガーのマスクを剥ぐと、ペイントをしたライガーが現れ、さらに、ライガーがコスチュームを自ら破り取ると、ボディにもペイントが!試合自体はムタがフォール勝ちしたが、ライガーもインパクトではそれ以上の、流石の花形ぶりを見せたのだった。また、シルバーのコスチュームは、つまりこの一戦のみでおじゃんとなったのだった。

 他、身長223cmのエル・ヒガンテと戦った際(1995年2月8日)は、椅子の上に立って毒霧を顔面に浴びせたり(試合途中、腹に浴びせて失敗していた。)、野外会場外に車があると、それを運転して、本間朋晃を轢いたりと、自由奔放なムタ。しかも、この、車による凶器攻撃(?)は、2004年の6月9日、8月30日と、2回行われているのだが、どちらも轢かれたのが本間であるところが、ある意味凄い。因みに、8月30日の試合は、9月1日付けの東京スポーツの一面になっており、見出しは、『ムタ暴挙 ひき逃げ』。後日、武藤の奥さんは、友人から、こんな風に言われたそうだ。

「お宅のご主人、大丈夫なの?」

 加えて言うと、この時の東京スポーツは、本間が初めて1面に登場したものだったとか……(本人談)。

 今後も数々の驚きを見せてくれるだろうムタ。日本での本格復帰に、ぜひ期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 子供の頃のヒーローはウルトラマンでもなく仮面ライダーでもなくグレートムタでした!
    子供心に武藤敬司とグレートムタは本当に同一人物なのか?と疑うぐらい全然違うファイトスタイルが魅力でしたね。

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    (2019/4/14 23:08)
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