2019/3/23 14:19

松井にヒップアタック!? 本人の伝説的ユニフォームを持つ、あのIWGP王者! 引退!イチローとプロレス

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松井にヒップアタック!? 本人の伝説的ユニフォームを持つ、あのIWGP王者! 引退!イチローとプロレス
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21日深夜、電撃会見。


 2009年4月6日、その年末に予定されていたK-1 MAXの雄・魔裟斗の引退について、同じくK-1 MAXの一翼を担う佐藤嘉洋が、一席ぶったことがあった。

「残った選手で一丸となってやればMAXは続けていけると信じてます。一人のスターがいなくなってダメになるなんて、競技じゃない。野球はイチローが引退しても人気はなくならないじゃないですか」

 正式には引退でなく、『日本球界からいなくなっても』という意味であったが、“その競技における一大スター”という比喩においては、やはりこの名が適当だったのだろう。そして、心ならずもこの時の佐藤の言葉(言い間違い?)が、現実化する時が来た。

 3月21日、木曜日の深夜、イチローが現役引退を表明した。大袈裟でなく日本列島を揺るがす報道であり、まだ時が経たぬだけに、このコラムでそれを知る人もいるかも知れない。

 プロ野球方面のお仕事を頂くこともある筆者なのだが、同スポーツとプロレスの縁は決して浅いものではない。古くは中日ドラゴンズの森徹選手が力道山の練習パトーナーを務めたり、ジャイアント馬場は元巨人軍投手(しかも一軍唯一の先発登板試合は、“魔球”なる言葉の元となったフォークボールを操る、杉下茂の200勝目のゲーム!ただし、馬場に負けがついたわけではなかったが)。90年代のnWoブーム時代には横浜ベイスターズの鈴木尚典、三浦大輔がその構成員に。東京ドーム大会で蝶野と一緒に入場したら、対戦相手の越中に蹴られたことも。個人的には、1999年、悲願の日本シリーズ制覇に向かう星野仙一監督(中日ドラゴンズ)が、同年10月11日におこなわれた橋本真也vs小川直也をわざわざテレビで視聴し、闘志を奮い立たせたという逸話が好きなのだが。そして、決してプロレス好きとは言えなかったイチローに対しても、プロレスをゆかりとする秘話が少なからず存在する。

 今回の当欄は、この不世出のプロ野球選手の引退を惜しみ、そんな逸聞の数々を紹介したい。

ハンセンとのタッグが実現!?


 メジャーの1年目(2001年)には、まさかそこから10年連続で200本安打(以上)を記録するとは、当然思われてなかったイチロー。「イチローが200安打以上したら、町を裸でランニングする」としていたアメリカの評論家が、事実その通りになってしまった笑い話もあるが(※局部は隠していた)、その2001年、元西武のデストラーデが試合を観戦した時のことだ。TVプロデューサーに転身し、試合前の練習を食い入るように観ていたデストラーデの隣に、それ以上の大男が。しかも、その人物自体、周囲からサインをせがまれていた。よくよく見れば、“マッチョマン”、ランディ・サページ。WWF(現WWE)世界ヘビー級王座に2度輝き、ハルク・ホーガンと人気を二分したカリスマである。実はこのサページ、もともとはマイナーリーグで活躍していた野球選手(捕手)。曰く、「イチローの大ファンなんだ。どうしても記録達成の瞬間が見たくて」そう、この日までにイチローは198安打を達成。試合では、サページの目の前で2安打を達成し、狂喜させたのだった(8月28日)。

 メジャー1年目でサページのハートを掴むのだから,イチローをかつて知ったる日本人レスラーたちなら言わずもがな。2009年8月の『G1 CLIMAX』では、永田裕志が、各会場ゆかりのプロ野球チームのユニホーム姿で入場したのだが、最終日の両国国技館大会(8月16日)までには既に、巨人、ヤクルトのユニフォームは消化。後楽園ホール大会と、前日の両国国技館大会があったためだが、そこで最終日に着て来たのが、なんとも見慣れぬユニフォーム。新日本プロレス野球チームのそれらしかった。若干、白けたムードで相手チームの奇襲を受けたのだが、それを蹴散らし、改めてその上衣を脱ぐと、そこには見知ったデザインが。この年の3月に世界一に輝いたWBC日本代表のユニフォーム!しかも、イチローのサイン付き!なんとこちら、イチロー本人がWBCの本戦で使用した“本物”だったとか!『最終戦で入場に着用したサムライジャパンのユニフォームはイチロー選手が本戦で使用した本物でサイン入りでした』(『永田裕志のサンダーデスブログ』より)

 2009年には、イチローと、スタン・ハンセンの名が並んで取り上げられることも。ハンセンの息子、シェーバー・ハンセンが、イチローの所属するシアトル・マリナーズのドラフトで指名されたのだ。つまり、メジャーに昇格すればチームメイトになる可能性も。残念ながら3年のマイナー暮らしの末に引退したが、日本のマスコミが、3年目の2012年当時、イチローに憧れてマリナーズ入りした川崎宗則のライバルとして、このハンセンを挙げたことも。同じ内野手だったためだが、日本におけるスタン・ハンセンの威容ならではといった感もあった。

「イチローも棚橋もカレーだからね」と並べて言ったのは、2017年当時、横浜マリノスにいた斎藤学選手。2人は勝負事の前にはカレーを食べるのを実践しており、自身もそれを取り入れようとしたものだが、2017年8月の発言であり、折からの新日本プロレス人気復興をしのばせるものともなった。

猪木の名言でボケてみせたイチロー


 さて、では、イチロー自身のプロレスに対するスタンスは、いかなるものだったのか?2004年のオールスター戦では、特別ゲストのモハメッド・アリとも謁見しているが……。

「体を治して、まずはリングに戻って(笑)」としたのは、2008年の清原和博の引退にあたってのメッセージ。2008年10月2日付の日刊スポーツに載ったこの言葉は、「それから野球場に戻って来てほしいですね」と続いており、格闘トレーニングも取り入れていた清原へのイチローの心象がうかがわれるものとなっている。さらに、2018年4月7日の試合では第1打席で3塁側にバント安打を決め、成功させるのだが、言うには、「プロレスラーみたいな人がサードにいますから、そら考えるでしょう」。3塁手が巨漢かつ守備的に小回りの利かぬミゲル・サノ選手だった。これだけ見ると、イチローの中では、プロレスラーというと鈍重なイメージなのかと思うが、どうしてどうして。イチロー自身は2014年2月、キャンプ地を訪れた松井秀喜・ヤンキース臨時コーチに、いきなりヒップアタックを炸裂。2010年には、グリフィーと相撲というか、ややアマレス・スタイルでの取っ組み合いも披露。2016年3月の秋季キャンプでは、「IKEBA WAKARUSA」との文字が躍るTシャツ姿も!言うまでもなく、猪木の名言、「行けばわかるさ」と同一なのだが、「IKEBA」の部分は、家具販売店イケアのロゴ「IKEA」を借用しており、つまりそちら方面のダジャレ。とはいえ、この春季キャンプでイチローは日替わりでユニークなTシャツ姿を見せており、いわば、これもオリジナルの一品。猪木の名言で遊んでみせたのだった。極めつけは、2018年8月の、メジャーで慣例的に行われる仮装(移動)イベント。なんとここでイチローは、“ストーン・コールド”、スティーブ・オースティンの仮装を披露。WWEがテーマの一つだったこともあるが、本人は上機嫌だったとか。同じ“レジェント”としての勘案があったとみるのはうがち過ぎだろうか。

 イチローと言えば、決して恵まれた体格でないながら、日々のルーティンワークを実直に欠かさずおこない、高いアベレージを保って来た選手。そんなイチローにとって、プロレスとは、やや非日常的なイメージで捉えられたジャンルだったのかも知れない。

 それを如実に示したのが、2007年5月6日の試合。この日、古巣のヤンキース時代の2003年オフに引退を表明していたロジャー・クレメンスが再びヤンキースでの復活を宣言(合間はアストロズで現役を続行)。復帰へのデモンストレーション宜しく、大画面でのマイク・パフォーマンスを展開したのだが、イチローは一言。「プロレスの世界ですよね、あれは」続いてこう述べた。

「ああいう神経って身につけたいなぁと思いますけど、僕には多分無理って思って見ていました」

 コツコツと、観る人が観れば、むしろ淡々と努力を積み上げ、日本時代とメジャー時代を合算すれば、通算安打数も試合出場数も史上最多という、まさに前人未到の記録を打ち立てたイチロー。会見で、「今日をもって、元イチロー」とした彼は、引退について、こう言い残した。

「後悔など、あるはずがない」

 65歳まで現役を貫いた天龍源一郎の、「腹一杯のプロレス人生でした」を思い出した。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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