2018/4/21 14:59

“黒蝶野”誕生はパチンコ屋から?新ボーンソルジャーは別人?中邑、内藤、飯塚、蝶野……ヒール・ターン特集!

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5月3日、博多大会の告知用映像に登場。


 新日本プロレス、4月13日の後楽園ホール大会において、少々驚きの映像メッセージが流れた。「BONE SOLDIER WILL RETURN」……。あのボーンソルジャーが、帰ってくるというのである。

 早くも、正体が元のままなのか、それとも、違うそれなのかで話題を呼んでいるが、一つ濃厚なことがある。それは、以前の同選手と同じように、外国人を中心としたヒール軍団、バレットクラブでの出陣になるという点だ(事実、告知映像にはバレットクラブのロゴも映し出された)。

 ちょうど海の向こうでは、4月17日(現地時間)に行われたスマックダウン(WWE)の大会中継において、「CHAOS ARRIVES!」の文字が流されたばかり。言うまでもなく、4月8日の「レッスルマニア34」でヒール転向を果たした中邑真輔にかこつけたものだが、CHAOS(ケイオス)と言えば新日本時代の中邑の所属ヒールユニット。この文字は、中邑によるヒール軍団結成を示唆するという見方も。中邑の衝撃的なヒールターンが、極めて大きな流れになりつつあるのだ。

 また、今年も「Number」誌(文芸春秋)による「プロレス総選挙」投票が開催中だが、4月19日の経過発表では、内藤哲也がぶっちぎりのトップ。こちらもヒールターンしてから人気が急上昇したのは言うまでもない。

 今回の当欄は、これらの潮流を受け、歴史に残るヒールターンの瞬間を特集、及び考察してみたい。

「AJ、オレはオマエの痛いところを狙うぞ」(中邑・4月17日)


 世界的に最も著名なヒールターン劇と言えば、1996年7月の、ハルク・ホーガンによるそれだろう。当時、WWF(現WWE)の対抗勢力だった団体・WCWのリングに、元WWFのスコット・ホール(レーザー・ラモン)とケビン・ナッシュ(ディーゼル)が登場。下手な例えだが、この“はぐれWWF軍”をWCWの正規軍、スティング、ランディ・サページ、レックス・ルーガーが迎撃。すると、途中で、それこそ正義の権化、ホーガンが乱入し、なぜかWWF軍サイドに肩入れ。レッグドロップでサページから3カウントを奪ってしまう(※ナッシュによる3カウントで形式上は無効)。その瞬間、リング上が観客から投げ込まれた紙コップ、ボトル、ボップコーン容器などのゴミの山となったことでも、客のショックと憎悪がわかろうもの。しかも直後のホーガンのマイクアピールは、「お前ら(観客)こそ、ここに落ちてるゴミみたいなもんなんだよ!」その後、ホーガンは自らのチームを当初はWOOW軍、後に、nWo軍と改名。黒を基調としたスタイリッシュなヒール像を確立。後に蝶野正洋も合流し、同軍団のTシャツが日本での一大ブームを巻き起こしたのは語り草。リアルアメリカンヒーローのヒール転向は、センセーショナルかつ、大成功したものとなったのだった。なお、nWoは、最初、「ナショナル・レスリング・オーガニゼーション」(国際レスリング組織※拙訳)の略とされたが、すぐに「ニュー・ワールド・オーダー」(新しい世界の秩序)の略と変更。この辺りもスマートなセンスを感じさせた。

 対して、「レッスルマニア34」でAJスタイルズの急所を打ち、ヒール転向を大アピールした中邑だが、日本での初めてのヒール転向は、2009年4月5日、真壁との一騎打ちでのこと。GBHに所属する真壁に、同門の矢野が助太刀に現れたのだが、どっこい標的は真壁。真壁を裏切り、中邑を仲間に引き入れ、新ヒールユニット、CHAOSを誕生させたのだった。

 矢野が中心として動いたことと、中邑自身が100%悪の色に染まっていたとは言えなかったこと、また、後年はオカダも入ったことにより、どうもヒールユニットとしての位置付けには欠けるCHAOS。だが、中邑自身は充分、悪を楽しんでいたようで、真壁に対しても、「雑草?それは、“踏まれても僕、頑張ってるから認めて下さい”。そんな努力、見せてる時点で負けじゃねーの?」(同年4月22日)と辛らつそのもの。実は一番変わったのがこのコメント面で、CHAOS入り以降は極めて自由奔放に。「イヤアオ!」も「滾ったか?」もこの延長線上にあると思えば、ヒール転向は必然だったのかも知れない。因みに、この年の夏、ボマイェを開発した理由は、「ヒール軍団と言えば凶器だけど、充分凶器になる体の部分(膝)があるじゃないかと」(中邑)というものだったとか。いかにも中邑らしい、高尚さすら感じさせる視座である。とはいえ、矢野自身の発言を紐解けば、「真輔は、難しいことばっかり言ってるような印象があるけど、俺と2人きりの時は、馬鹿話しかしないよ」とのことである。

「武藤&小橋vs飯塚&矢野」で、ベストバウト賞初受賞の飯塚(2011年)


 突如のヒール転向には衝撃がともなう。それが、正規軍入りへのお膳立てが出来ていた上ならなおさらだ。ボーンソルジャーの転向劇はまさにそのもの。2016年の4月より、ヨシタツとともにバレットクラブ討ちに意欲を見せていたキャプテン・ニュージャパンだったが、ヨシタツが首を縦に振らず。結果、Twitterで民意を問うと、ヨシタツとの同舟に賛成が3072票、反対が4090票。同年9月25日の神戸大会で2人はタッグを組み、まさにバレットクラブの高橋裕二郎、チェーズ・オーエンズと対戦するが、ゴング前にヨシタツが投票結果を発表すると、キャプテンが豹変。バレットクラブ側に回り、3vs1でヨシタツを攻め、僅か48秒でヨシタツはフォール負け。翌日にはキャプテンはボーンソルジャーに変身したのだった。なお、これに対するヨシタツのコメントは、「マスクはカッコいいけど、ボーンソルジャーじゃなく、ボーンヘッドだよ」。流石のアメリカンジョークだが、記者の反応はにぶかった……。

 これを遥かに上回る裏切り劇を見せたのが、2008年の飯塚高史。同年2月から3月、当時の所属ユニット、GBHを追放となった天山広吉を、本隊の飯塚が救出。返す刀で、天山も同様に襲われた飯塚を救出するなど、2人は急接近。3月17日より、“友情タッグ”結成の運びとなった。すると飯塚から出る、心強い言葉の数々。「体を張ってでも天山を助けようという気持ちが自然と出る」「天山、あんな風に自分の体を犠牲にして、盾になってくれるなんて……」等など。今思うと、このあまりにも説明的なコメントが逆に嘘くさいのだが、合間にも天山の誕生日(3月23日)に「♪ハッピーバースデー・ディア・天山♪」と独唱する飯塚。2人の煽り映像のBGMは、米米クラブの「君がいるだけで」。2人の“友情タッグ”Tシャツも発売され、胸の表記には「FRIENDS」「友情」「HEY!BROTHER」と、熱き連帯のつるべ打ち!天山は天山で、「このタッグを成功に導けば、世界のみんなにも友情が芽生えて、ハッピーな世の中になるんちゃうかな」とやけにスケールがでかい決意を語る。08年4月27日、その友情タッグでIWGPタッグ王座に挑戦する前日には、2人仲良くサイン会を行い、約100名のファンと記念撮影。ところが、当のIWGPタッグ戦の試合途中で、天山は背後から飯塚にスリーパーで締め落とされてしまう。全てはGBHの差し金だったのだ。当時、実直な誌面内容で知られる「Gスピリッツ」の記者が、「完全に意表を突かれました!」とメールして来たのが懐かしい。筆者としては、前日のサイン会に参加した約100人のファンの気持ちと、発売されたばかりの友情タッグTシャツがどこに行くのかが気になったが(割と今でも気になる)。

 その飯塚は、無論今も現役で、以降、東スポのベストバウト賞に輝き、GHCタッグ王座も戴冠。ヒール転向は成功だったと言って良いだろう。

“黒蝶野”のファッションには、夫人の進言も。


 今を時めく内藤哲也のヒールターンは2015年6月26日より。メキシコ遠征から帰国し、この日、四日市大会に出場した内藤は、よく動いたが、試合後、「ちょっとメキシコの自由な空気を吸いすぎちゃったかなと。俺が(ラ・)ソンブラと組んで入ったチーム、ロス・インゴベルナブレス。制御不能っていう意味。いい言葉だな」と言い残す。翌日は棚橋とのタッグで、これまた動き回り勝利したが、ノーコメント。そしてその翌日の後楽園ホール大会からは、やけにノラリクラリとしたファイトを披露。マスコミが集中する関東の大会を起点にした腹づもりだったか。試合後は、「今日は日曜日?ドミンゴ?」と、今に続く内藤節が炸裂。そして7月3日の試合後コメントで、「トランキーロ、トドハポレス(すべての日本人)」とお馴染みの名言が初登場。この中毒性の高いフレーズを用いたセンスが、その成功の一因だろう。

 そして今も記憶に根付く、新日本プロレスにおけるヒール転向の第一人者と言えば、蝶野正洋だろう。1994年、4回目のG1 CLIMAXで自身3度目の優勝を達成。ところが、事前の専門誌の優勝予想で、候補にも挙がらなかったことに激高(※P誌が、強硬に長州を推していた)。トロフィーと賞状をリングに置き、賞金の500万円小切手の拡大コピーは放り投げ、そして観客に中指を立てた。「なぜ自分の名前が挙がらないのか。オレは2度もG1を制している。もうだれも仲間じゃない。みんな敵だ!」と試合後コメント。翌月の開幕戦ではトークショーのみに登壇も、「俺はトークで客を喜ばすレスラーじゃない!」と根底からぶち壊し、V3後初の試合となる馳浩戦(9月19日)では、個人でタクシーで会場入り。出で立ちはそれまでの白から、マルティナ夫人のアイデアも活かした黒を基調としたものに変え、試合では馳を大流血させ、“黒蝶野”としての第一歩を踏み出したのだった。

 個人インタビューした時、この時のいきさつを話してくれた。

「2回目の優勝をした時、街を歩いてても、誰にも騒がれないんだよね。せいぜいパチンコ屋で、『あ、優勝、おめでとうございます』と言われた程度で。さすがにこれはまずいって。世間に何も届いてない。優勝しただけじゃダメなんだ。それを次のインパクトあるムーブメントに繋げて行かなければと。だから、次、優勝したら、具体的な行動を起こすことに決めていたんですよね」

 都合、5回のG1優勝を果たしている蝶野だが、よってこの3回目の優勝が一番思い出深いという。現在も“黒蝶野”のイメージでテレビやCMで知られているのは、読者も周知の通りである。

 その中身は期待の若手?などという噂もなくはない(新)ボーンソルジャー。まさしくムーブメントを起こすことが出来るかにも、注目したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • こう言っちゃなんだけど
    大々的に告知しちゃったし平澤には荷が重いよね
    多分平澤じゃないんだろうけど

    ID:6202697 [通報]
    (2018/4/29 1:21)
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