2018/3/16 20:11

棚橋が海外初試合! えっ!? WWE王者とIWGP王者が同居? 柴田がヘッドコーチ就任!ロス道場特集!

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棚橋が海外初試合! えっ!? WWE王者とIWGP王者が同居? 柴田がヘッドコーチ就任!ロス道場特集!
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3月19~23日、もしくは26~30日で、春季キャンプ!


 昨年、実働4か月間ながら、プロレス大賞敢闘賞を受賞した柴田勝頼。同結果は、柴田その人への復帰の待望感も含んでいたはずだ。その柴田について、いよいよ復活へ繋がるニュースがさる5日、入ってきた。新しく創設された新日本プロレスのロサンゼルス道場における春季キャンプのヘッドコーチを、柴田が務めることが明らかになったのだ。

 この新道場の設立予定については、昨年5月16日の新日本プロレス戦略発表会にて既に明らかにされていたことだが、つまりは今回、それが結実したことになる。

 だが、「ロス道場」と言えば、忌まわしきワードとして思い出されるプロレスファンも多いはずだ。新日本がロスに道場を作るのは、これが2度目。2002年に出来た最初のロス道場は、一部で「金食い虫」とも言われ、長州力が同団体から退団する際、「あんなもんに月1万ドル(※当時、約130万円)もかけるなんて馬鹿げてる」と痛烈に批判したのは今も語り草になっている。

 一方で、その、旧・ロス道場は、多士済々の面々を輩出。一例を挙げただけでも、ダニエル・ブライアン(元WWE王者)、カール・アンダーソン、プリンス・デヴィット、ロッキー・ロメロ、シェイン・ヘイスト、マイキー・ニコルズ、アレックス・コズロフetc……。その存在意義と価値は、近年、再評価の一途を辿ってもいるのだ。

 今回の当欄は、この旧ロス道場を振り返りつつ、新たな同道場の展望も探りたい。

道場開きでは、ルッテン&マッコリ―vsドン・フライ&ダン・デバインのエキシビションも。


 旧道場は、米ロサンゼルスのサンタモニカ郊外に、2002年4月1日、オープン。文献によっては、何故かその施設の貧相さを語る者もいるが、それはやっかみ以外の何物でもないだろう。まったくもって、立派な道場だったのである。

 広さは約500平方メートルと、当時の新日本プロレスの道場の3倍。リングやトレーニング機器はもちろん完備され、奥にはスチームサウナも(猪木の好みだったようだが)。壁面には、猪木の「道」の詩が、日本語と英語で書かれる、ファンならたまらない仕様もあった(もっとも、新道場ではこれは観られないだろうが)。

 オープニング・セレモニーには、新日本プロレス勢が16名、2泊4日の強行軍で大挙の訪米を果たし、出席。スパーでは、坂口征二とジャイアント・シンが絡む、異色の顔合わせも。そして、この時、若手だった柴田勝頼、そして棚橋弘至も、しっかり訪れているのだ。さらに、元パンクラス王者、バス・ルッテンや、グレイシー一族狩りの急先鋒だった、ヴァリッジ・イズマイウも出席。誠に豪華絢爛な船出となった。

 因みに、振り返るまで筆者も気付かなかったのだが、長州が冒頭のように言って新日本を辞めたのは、2002年5月31日のこと。つまり、ロス道場がオープンしてまだ2ヶ月経ってないのだ。この長州の批判の言葉だけが今でも大いに独り歩きしているが、さすがに早すぎる糺弾ではなかっただろうか?(当時の長州からすれば、猪木のやること全てに反意を持っていたかもとはいえ)

 とはいえ、海の向こうのロス道場が、今いち機能していないように思えたのも事実。さらに最新鋭の充実した道場と見られなかったのは、同道場での苦労譚を語る選手が多いことだろう。その1人が、中邑真輔、そして、日本でもお馴染み、カール・アンダーソンである。

中邑が猪木とスパーすることも。


 中邑は2002年8月のプロデビュー後、翌月にはロス道場へ。トレーナーはジャスティン・マッコリ―だったが、外国人からすると、道場はスポーツジム的な感覚だったようで。自由に練習して自由に帰る、いわばフレックスタイム制。要するに、練習内容が体系化されておらず、緊張感にはかなり欠けていたようだ。因みに、この時期、中邑が住んでいたのは、後の新日本プロレスの社長、サイモン猪木のマンションだったのだが、ここにダニエル・ブライアンも同居してたというから驚きだ。

 アンダーソンは2005年、テネシーで行われた試合がたまたまロス道場の関係者の目に留まり、そのままスカウトされ、翌年1月よりロス道場入り。この時期にはロス道場での練習も、新日本プロレスさながら、統率感の取れたものになっていたという。だが、今度はアンダーソン自体に問題が。全く金が無かったため住む場所が確保出来ず、道場のリングの上や下で寝ていたという。再びやって来た中邑が彼を気に入り、食事をおごり続けたのは有名で、中邑無しには、今のアンダーソンはないと言って過言ではないだろう(ただ、金がない割に、アンダーソンは女性には相当モテていたようだが)。

 同じくロス道場生で、一足先に新日本入りしていたプリンス・デヴィットが、アンダーソンに、「新日本に試合のビデオを送るように」進言。いざ送ってみれば、それを観た永田裕志が3ヶ月契約を確約。いざ来日し、試合をしてみれば、それが長期契約に。プリンス・デヴィットは、新日本での自らの思い出深い試合として、2010年8月のG1でのアンダーソンとの一騎打ちを回顧。「僕らはロス道場からの仲だから」とし、中邑は2015年11月のIWGPインターコンチ戦でアンダーソンを下した際、「自分の気持ちの中では、アイツは特別だから。試合に賭ける思いも、重たかったですよ。(中略)最後にチャド、I love you」と、その本名(チャド・アギレラ)を出して讃えている。

まるで異種格闘技戦!棚橋の海外初試合!


 しかし、幾ら良い選手がいても、知られないままではダイヤの原石のままである。今考えると画期的だったことが、この旧ロス道場で一つある。それは、道場での自主興行「TOUKON」の定期開催と、その模様のTVテーピング。第1回は、2003年の6月21日。全5試合で、現地の日本人約7割を含む、300人の観客が集まったという。日本からは、何と、これが海外での初試合となった、棚橋と矢野が参戦。矢野はセミやジャスティン・マッコリ―と、棚橋はメインで、パンクラスやHERO'Sにも後に参戦する、ジミー・アンブリッツと激突。どちらも敗退したが、特に棚橋にとっては覚醒的な出来事だったらしく、試合後、「温室育ちでした……。僕を海外修行に出して貰えませんか?」と吐露。さらに印象的な一言を述べている。「武藤敬司なら、きっとなんとかしたんだろうな……」そう、試合は惨敗で、なおかつ、客の反応を呼び込めなかったのだった。

 この「TOUKON」大会は、ロス道場の選手を知らしめたい、サイモン猪木の苦肉の策だったが、動画の評判は上々で、実質的に後のスター選手たちが巣立っていく結果となったのだった。

 また、試合において極めて特徴的だったのは、まるで総合格闘技のそれだったこと。棚橋vsアンブリッツでは、アンブリッツがロープワークを拒否する場面も(フィニッシュは肩固め)。そういえば、アンダーソンが、後年、自分がいた当時の練習の厳しさを、こう回顧している。「石澤さんのトレーニングはクレイジーだった。ひたすらスクワット、プッシュアップ、ランニングの繰り返しに、強烈なスパー……」そう、アンダーソンがいた時期のロス道場は、ケンドー・カシンこと、石澤常光がトレーナーだったのだ。

 そして、ここに来ての、柴田をヘッドコーチとしてのロス道場の復活。厳しい練習はもちろん、その総合格闘技の素養も存分に活かされるに違いない。自主興行の開催はまだわからないが、少なくとも春季キャンプでは、WWEと逆行する、柴田の標榜する「昭和の新日本イズム」が叩き込まれることになるのではないか?

 青い目のヤングライオンたちの誕生と躍進を、楽しみにしてみたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 旧道場は現在倉庫になっているようですね。道の詩は残っているらしいです。

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    (2018/3/16 21:04)
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