2018/1/27 11:52

あの「はぐれ刑事」がピンチを救った?! 自殺寸前の凄絶な過去?! オメデタ!並びにGM退任。風香特集!

閲覧数:2167

あの「はぐれ刑事」がピンチを救った?! 自殺寸前の凄絶な過去?! オメデタ!並びにGM退任。風香特集!
5.0

妊娠により、スターダムGM退任を発表


「メキシコに遠征した日本人レスラーの中で、最初から最も人気を博したのは誰か?」という問いがあれば、答えははっきりしている。風香だ。2008年5月11日、メキシコシティで行われた「DORAGOMANIA III」に出場。事前にメキシコのルチャ雑誌に大きく取り上げられていたこともあったが、その際の現地ファンの熱き応援は、伝説化している。街を歩けばサインや写真撮影を求められるのは勿論、凄いのが風香自身、「人生最大のモテ期が来た」と振り返った、(現地の)男子レスラーからの求愛ぶり。何人もの選手が入れ替わり立ち替わり風香の元にやって来て、先ずはスペイン語で求愛。次に日本語も交えてアタックしていたという。これは風香自身でなく、他のレスラーの証言だが、現地で15ḿほどの通路を歩くと、すれ違った7人の男性全てが振り返ったという。

 そんな愛くるしい容貌裏腹、2010年の現役引退後は、スターダムのGMとして、団体の中枢を厳しく担って来た風香が、1月21日、妊娠を機に、同職からの退任を発表した。今回の当欄は、その可憐な表情の裏に隠された彼女の艱難辛苦の人生を振り返り、ねぎらいとエールの念を込めたい。

「犯人の顔を知ってるのは私だけだったから……」(風香)


 風香と言えば、一般マスコミ上でも有名になったのが、2007年6月、自身を襲った痴漢を3か月かけて探し上げ、警察に突き出した事件。いまさらながらその美貌が事件の遠因になっているわけだが、そもそも本人自体が、「歌って踊れるアイドル」(後述)志望であった。一途で人を信じやすい部分があり、2002年、その目的で上京したての時は、芸能事務所を語る男に大金を巻き上げられそうになったという。それを救ったのが、母の知り合いだった俳優の藤田まこと。先方に実態がないのを調べ上げ、風香に、その男を都内のホテルのロビーに呼び寄せさせると、後ろから羽交い絞めで捕まえ、男は御用、去り際の藤田の一言が振るっている。「いえいえ、山手中央署の刑事ですから」もちろん同署は、ドラマ『はぐれ刑事純情派』の舞台である。

 そんな過去もあってか、風香も罪を許さない。被害に遭った直後、警察が作ってくれたモンタージュを、(似てない!)と心中で一掃すると、襲われた時間帯を中心に、自宅と駅の間を毎晩パトロール。飲食店に入った犯人を見つけ、逮捕にこぎつけたのだった。

 その後は、痴漢撃退法の取材も多くなった風香。というのは、最初に襲われた時も、相手を急所蹴りで逃亡させているのだ。因みに急所蹴りのコツは、「前からや真下からだと、急所が脇にそれる場合があるので、相手の内またを滑らすように、斜め下から蹴り上げる」ことだそう(リアルだ……)。

 痴漢探索にかかった期間は、何と3ヶ月。その裏には、決して物事を投げ出さないと決めた、風香の生への灯があった。

父と母の反対を振り切っての、名門校入学だったが……


 1984年4月生まれ。父は大の筋トレ好き、長兄、次兄は、それぞれ後の奈良市議会議員の柿本元気、プロレスラーの柿本大地。ある種のエリート一家に生まれた風香は、小学4年生の時始めたバスケットボールで頭角を現す。中学時には奈良県のオールスターにも選出され、全国的にも有名なバスケットボールの名門高校に、特待生として入学することに。だが、入部にあたっての誓約書に、以下の内容を見つける。「もし部活動中に死んでも、文句は言いません」それはまさに、地獄の始まりだった。

 夜の12時を超えるまで練習し、終わると顧問の体罰があった。ビンタ50連発はザラだったという。加えて先輩によるイジメ。同輩たちと、「朝起きて死んでたら、どれだけいいだろう」と慰めあった。イジメているその先輩たちですら、寮生活の者は、「私たちは人質。全国大会で優勝してやっと解放されるんだ」と自嘲する始末。生理も一時的に止まってしまったという。

 結局、同高校から逃げ出し、違う高校へ。ここでもバスケットボールを選んだが、風香と周囲に実力の差が激しく、ある試合で、風香は試合から外されることに。風香の努力を知りながら、顧問と、仲の良かったはずのある部員がたくらんだことだった。ショックを受け、ダムに向かった風香は気が付くと池に足をつけていた。自殺しようとしたのだ。ここは思いとどまったが、以降、風香は登校拒否に。そんな中、耳に入って来た歌詞が、「♪新しい未来を掴む旅に出よう」。ダンスユニット「SPEED」の、『Breakin' out to the morning』という曲だった。風香は決心する。「私も、SPEEDみたいになりたい!」それが先にも触れた、上京しての行動に繋がるわけだが、それまでは学業にも専念し好成績を手中に。理由が、「私を裏切った(バスケ部の)友人を、せめて成績で見返したかったから」というのも風香らしい。そう、風香は、やると決めたら、必ずそれを遂行する熱さを持った人間だったのだ。

「新団体名を『STARDOM』にしたのは、『SPEED』と字面が似てたから」(風香)


 アイドルを目指した結果、「JDスター」に所属。当時の面接で、「同じ人前に出る仕事だし、やってみればいいんちゃう?」と、割と軽めに言われたのがきっかけだった。実は同期の中でも、基礎体力(練習)では、断トツのものを見せた風香。ところが、バスケ部時代には無かった受け身を大の苦手とし、デビュー後、60連敗以上。「女子プロレス界のハルウララ」との異名もついた。飛躍のきっかけは、先輩のAKINOが、「風香は、出来なくないですよ」とその実力を進言し、本人が一騎打ち。引き分けに終わるも評価を得た風香は、見る見るうちに力を挙げ、格闘技ジムAACCや、シュートボクシングを学び、“強い風香〞へと変貌して行ったのだった。

 そんな風香を大事件が襲ったのは、2007年3月21日。この日、浜田文子と対戦した風香は、“仕掛けられ”、ほとんど戦意喪失状態で完敗。実は数日前より関係者や他のレスラーから、「何かやって来るから気をつけて」「今からでも、出来ればやらない方がいいよ」と進言されていたという。だが、熱さと一本気な部分はありつつ、逆に言えば純朴な風香は、その『何か』の意味が理解出来なかったという。「プロレスとは、お互いの良さを見せ合うもの」と教育されて来た風香は、浜田の無法ファイトにショックを受け、長期欠場してしまう。上記の痴漢騒動は、この欠場期間中のものだった。

 悪い時には悪いものが重なるもの。なんと7月にはJDスターが活動停止に。ここで自分を奮い立たせたのが風香の真骨頂だった。「自分の信じるプロレスを見せたい」。同年12月、翌年2月と、自らの興行、「風香祭」を開催。育って来たプロレスの灯を絶やさぬよう、闘い続けた。

 2010年に現役引退も、翌年、スターダムのGMとして業界に復帰。もともと、プロレス・デビューをするグラビアアイドル、愛川ゆず季のトレーナーを務めていたが、これがきっかけで教えることが楽しくなり、ブログで練習生を募集。それが、もともと大の風香ファンだった世IV虎など、スターダムの一期生になるという運びだった。

 この度、就任約7年を経て、GMを退任する風香。旗揚げ当初、同団体に掲げたコンセプトは以下だった。

「普通の女の子が輝けるリング」。

 以降、冬の時代と言われる女子プロ界で、確実に動員を増やし、また、スター選手を産み出して来たスターダム。女子プロレスの可能性を確実に広げた7年間だったと言えるだろう。

 感謝の言葉とともに、新たな人生に、エールを送りたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

    まだコメントはありません。

おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る

プロレスが好きな人はフォロー!
「ぼくらのプロレス」ならではの情報をお届けします。