2017/9/23 11:47

内藤が手に入らなかったものって!? 低迷巨人に、馬場からのエール!「内藤哲也と広島カープ~プロレスとプロ野球」特集!

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内藤が手に入らなかったものって!? 低迷巨人に、馬場からのエール!「内藤哲也と広島カープ~プロレスとプロ野球」特集!
4.3

「リング上ではヒールでも、カープの話になると無理(笑)」(内藤)


「ロス・インゴベルナブレス」の和訳よろしく、制御不能な奴ら、そのリーダーとして知られる内藤哲也。雑誌「Number」がおこなったプロレスラー人気投票では1位を獲得し、今年のG1では優勝と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。だが、そんな内藤でも今年、「手に入らないものがあった」というから驚きだ。果たしてその内容は?

「最近の(広島)カープ人気でファンクラブに入れなくなって、限定グッズも買えない」(「中国新聞」2017年5月4日付より)。そう、ファンなら周知の通り、内藤は、大の広島カープファンである。同球団が優勝(連覇)を決めた9月18日には中継ぎの雄、ジャクソン投手の左腕に「ロス・インゴベルナブレス」のラバー・バンドが。球場のビジョンを用い、著名人がリレー形式で歌う応援歌「それ行けカープ」にも、今年登場している。今回の当欄はその連覇を祝し、内藤哲也と広島カープを中心に、プロレスとプロ野球について書いてみたい。

侍vs番長実現!


「子供の頃、テレビでやってるスポーツと言えば、プロ野球かプロレスだった」とは、元新日本のジュニア戦士、保永昇男さんにインタビューした際の言葉だが(相撲を入れなかったのは、最初からスポーツで身を立てたいと思っており、体型的に合わないと感じていたそう。)、それゆえ、合縁奇縁ある関係と言っていいこの2大ジャンル。力道山が、中日ドラゴンズの森徹選手と、ともにトレーニングするほど昵懇の仲だったのは先週触れた通りだし、ジャイアント馬場は、元巨人軍投手。しかも長嶋茂雄がプロ入りして、初めてキャッチボールした相手が馬場だったという。因みに、馬場の1軍での先発登板は1試合のみなのだが、相手の杉下茂(中日ドラゴンズ)投手が、この試合で200勝目を達成した。(※馬場に負けはつかず。)歴史的試合に登板しているのだ。

 その馬場と言えば思い出されるのが、新日本と全日本が草野球で対決した時の出来事。東京スポーツ主催で、1980年4月6日に行われたのだが(西武球場)、新日本側はきっちりお揃いの特別ユニホームで現れたのに対し、全日本側は皆、バラバラの出で立ち。東京スポーツ側が、ユニホームについて何も言わなかったので、全く意識せず、そのまま来てしまったのだ。品位を重んじる馬場だけに、これには怒り心頭。しかも試合は、打線がエース・猪木に抑え込まれ、惨敗。元投手の馬場の心中、察するにあまりある。(馬場はこの時、監督に徹し、登板は無かった。)この翌年以降、両団体は外国人レスラーの引き抜き等を巡って険悪となるが、そのきっかけは、この時の野球だったかも知れない?!

 現役のプロ選手がリングに駆けつけたことで思い出されるのが、横浜ベイスターズの三浦大輔と鈴木尚典。当時、一大ブームを起こしていたnWo軍団に、この2人も加入。1998年1月4日の東京ドーム大会に、蝶野のセコンドとして参上したのだ。応援の甲斐あってか、蝶野はシングルで越中に勝利。すると、越中は、腹いせに三浦の右太ももにキック炸裂!因みに越中は大の阪神タイガースファンである。なお、この年、横浜は38年ぶりの優勝。阪神は最下位であった……。

内藤と広島カープのコラボTシャツも。


 件の広島カープとプロレスの関係も深い。アブドーラ・ザ・ブッチャーは、ミスター赤ヘル・山本浩二と酒席で出会ったことがあるのだが、「あれこそ勝負師の目」と絶賛。山本浩二に関しては、元巨人戦士のはずの馬場もファンだったようだが、理由が、「広島の初優勝の時、目を真っ赤にして泣いていたのを見て、良い男だなあと思って」というから、それはそれで馬場らしい。

 特筆すべきは、2006年から2009年まで広島の監督を務めたマーティー・ブラウン。選手としては広島に1992年から1994年まで在籍したのだが、ある試合でホームに突っ込む時、捕手に三沢光晴ばりのダイビング・エルボーを見舞ったのだ。この模様は、当時の「全日本プロレス中継」のミニコーナー、「プロレスニュース」でも特集されたため、覚えている読者もいるかも知れない。監督として復帰後もホームベースを投げたりしていたので、プロレスとの親和性は高かったかも?

 ところで、今年も広島に優勝をさらわれた巨人だが、出版社「学研」で働いていた友人に聞いた逸話を一つ。その昔、同社の雑誌「中三コース」で、「低迷する巨人に一言」という著名人向けアンケートをとった。返信用のハガキを入れておいたのだが、40通出したうち、返って来たのはわずか5通。しかし、そのうちの1通は馬場からで、ハガキの裏にはビッシリと細かい文字が。現状を打開する理想の打順から、投手のローテーションまで、自分なりの改善案が書いてあったという。「プロレスは詳しくないけど、馬場さんてのは、本当に真面目で、かつ、巨人を愛してる人なんだなぁと思った」とは、友人の弁である。

「現役を引退したら、広島で暮らしたいという気持ちが強くなってる」(内藤)


 さて、野球少年であり、背番号2でショートを守っていた内藤。(先述の「それ行けカープ」でも、背番号2でショートの田中広輔選手のユニホームを着ているのは、この名残でもあるとか。)とはいえこの内藤、実はもともと巨人ファンであったとか。特に原辰徳が好きだったのだが、1995年に同選手が引退すると、徐々に広島の機動力野球に魅せられることに。当時の巨人が、4番打者ばかりを引き抜いて来る、いわゆる大砲主義なことへの反駁もあったと思われ、この辺りは内藤のファイトスタイルと通底するようで面白い(一番好きだったのは、江藤智だったようだが)。2008年にプロレスファンの浅井樹打撃コーチと知り合い、さらに熱も入った。「カープ名物のスクワット応援を外野でやって、トレーニングも兼ねてました」と笑う。遠征用のバッグには、常にカープの応援用ユニホームが。1軍だけでなく、2軍も観に行くだけに、常に持ち歩いているのだ。

 1997年、広島はAクラスに入り健闘。15歳の内藤はこの年、自らに3つの誓いを立てた。「(1)新日本の選手になる (2)20代でIWGPヘビー級王座を獲得 (3)東京ドームのメーンで試合をする」。(1)は達成されたが、(2)、(3)が果たせず、時は過ぎた。ところが2013年、負傷明けからG1で初優勝。同じ年、広島が16年ぶりにAクラスに入った。そう、それは内藤の15歳の誓い以来の出来事。翌年1月4日の東京ドーム大会でのIWGPヘビー級王座挑戦も決まり、勢いに乗っていると思った内藤だったが、同試合はメインには組まれなかった。同インターコンチネンタル王座戦の、中邑vs棚橋に、ファン投票で、メインを取られたのだ。翌2014年には、「それ行けカープ」に、プロレスラーが登場。だが、自分ではなく、山口県出身の長州力であった。「歯がゆかった」と内藤は言う。

 昨年、20代でこそなかったが、自身の念願だったIWGP王座に輝き、広島も優勝。今年は2度目のG1王者となり、広島も連覇を達成。文字通り、公私ともに乗っている内藤の3つ目の夢は、来年の1月4日に実現しそうだ。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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