2017/7/23 12:16

えっ?2試合で600万円? 川田と馳がニアミス!? 11年ぶりに現役復帰!馳浩特集!

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えっ?2試合で600万円? 川田と馳がニアミス!? 11年ぶりに現役復帰!馳浩特集!
4.9

7月26日、「プロレスリング・マスターズ」後楽園ホール大会で、11年ぶりの復帰!


「今まで一番、終わりを急いだインタビュー相手は?」と問われれば、「馳浩」と答える。時は2015年の6月。同氏は同年10月には文部科学大臣に着任しており、政界でのその存在感が高値安定した時期でもあった。自民党本部まで取材に行くと、教育関連の話し合いが長引いたようで、少しだけ扉の外で待たされたのだが、その私たちの後ろに既に、次の相談者たち(馳氏の専門分野とも言っていい、フリースクール関連の方々だったと記憶している。)が待っているではないか!しかも、何やら難しい顔をして、政策の問題点を指摘し合っている……。本能的に(萎縮したとも言えるが。)取材を早く終わらせなければならないという義務感にさいなまれた筆者は、20分しかない取材時間の最初に、こんな風に聞いた。「えぇっと……先ず、3回目のG1で準優勝出来たのは、その年の初めに離婚したことも影響としてあったとか?」「何ぃ?! いきなりそこから聞くの!?(笑)」(馳)。それでも、丁寧に、理路整然と答えてくれたことが印象に残っている。それを、リング上での受けの上手さと同様と言ったら、ファン目線に過ぎるだろうか。

 その馳浩が、7月26日、リングに帰って来る。06年の引退から、実に11年ぶりの、それも現役の国会議員としての復帰である。これを祝し、今回の当欄は、これまでの国会議員としての馳にスポットを当てると同時に、当日の見どころをチェックしたい。

「大仁田さんは、朝の勉強会に、ちゃんと来てましたね」(馳)


「自民党本部に、8時5分前に来い」。これは馳自身が行った勧告だが、向けられた相手は、何と“ミスター女子プロレス”、神取しのぶ。06年10月、参議院議員に自民党から繰り上げ当選した神取に進言したものである。神取の政治家としての能力を疑問視する声が多い中、8時から同党で始まる勉強会(部会)に出席せよという、愛あるアドバイスだった。

 なにせ、有言実行で現在の立場を築いた馳。95年に参議院議員に初当選した際は、Tシャツ姿で出馬した選挙区である石川県の県庁の床磨きを敢行。実は、公約の一つにこの床磨きが入っていたのだ。公約は他にも、老人ホームにてのボランティア、病院での夜勤、町祭りへの参加、稲刈りなどなど。自らの力で可能なものは全てこなしたというから恐れ入る。因みに、翌96年、馳は石川県関連の国会議員では、その所得総額が最も多い人物として、内訳を公開されたのだが、当然、額の中にはプロレスラーとしての事業所得も。果たしてその額は、631万円。馳は96年には佐々木健介戦(1月4日)と、緊急参戦した、石川県での試合(7月24日。馳、健介vs長州、永田)しか出ていないのだが、健介戦は、一応、“引退試合”とされており、また、11月には全日本に移籍となったため(試合デビューは翌年。)、それに類する所得も入っているのかも知れない。

 加えて、初当選時、注目されたのが、その、元国語教師という肩書。あいまって、何かことがある時は、馳が一句詠むのが恒例となった。「故郷や二十一世紀への海開き」(初当選時)、「青い夏仰いで踏みしめる赤じゅうたん……字余り」(初登院時)。これもあってか、15年10月、文科相になり、自身が着任前に出されていた文系大学の見直し通知の文書について一言。「私が今でも国語の教師なら、32点。単文と複文がごちゃ混ぜになっている」。手厳しいが、00年11月には、往年のクイズ番組「クイズ$ミリオネア」で、最高賞金額の1000万円を獲得している馳。同番組では4人目の達成者で、しかも著名人では初の快挙。その頭脳においては、やはり一目置かれていたと言って間違いはないだろう。だが、賞金獲得後、使い道を聞かれた馳は、こんな風に答えている。「塾を開きたいという夢があったんだけど、(一緒に出演した)蝶野の顔を見ていたら、それよか、試合がやりたくなった」……。

朝は5時から7時まで、ランニング等、個人的な練習も。


「プロレスラーひと筋の時は、食べるものに気を使ってたんだけどね」と語った馳。議員になってからは、とてもそんな暇がなくなったという。朝は前出の勉強会(部会)で、他の意見を聞きながら支給された弁当を食べ(隣の議員に腕がぶつからないように食べるのに苦労したとか。)、昼は同じく部会で、カレーライス。一年に100回以上はこのメニューで、美味というわけでもなく(失礼!)、社員食堂にありがちなカレーと一緒で、具が入ってないことも多いとか。しかも、3分以内に食べ終わらないと周囲から白い目が……。逆に言えば、食べやすさも、心ならずのチョイスの一因だったようだ。夜は宴会。とはいえ、周囲へのねぎらいや挨拶、並びに情報交換と「乾杯!」が主になり、ひいては、「こうしてストレスぶとりの立派な自民党国会議員が養成されるってわけ。ああ。」(産経新聞・97年1月21日付)

 だが、レスラーとして並行に活動して来た馳の外貌を見て、太っているだの締まってないだの、みっともなく感じた読者はいないはずだ。それもそのはず。衆院第一議員会館の裏手に、「衆院健康センター」という建物がある。馳はここで、公務の空き時間となる夕方から夜、毎日のトレーニングを欠かさなかった。「自分でルールを決めていた。100%公務が優先で、練習はその空き時間に。プロレスは、国会開会中でなく、閉会中にと」(馳)。06年のプロレス引退以降も、トレーニング自体は続き、川田利明が経営するラーメン屋(*2010年オープン)の前を、ランニングで通ったこともあるという。

誰をジャイアントスイングで回すかにも興味が。


 復帰戦のカードは、「馳、長州、藤波vsムタ、カブキ、TNT」。馳とムタと言えば、ムタの日本デビュー第2戦で一騎打ち(90年9月14日)。壮絶な流血戦となり、プロレスマニアとして知られる東京03の豊本明長さんは、同試合を自身の選ぶベストバウトとしている。ムタ、TNTは、馳、健介組と戦ったことがあり(91年7月19日)、こちらも大流血戦に。同試合では、ムタの姿が一瞬消えたかと思うと、リング下をくぐり対角線コーナーの馳を襲撃という場面も。再び、血で血を洗う邂逅となるのか? また、リング下くぐりという名シーンが再現されるかにも注目したい。

 もともと、高村光太郎の「智恵子抄」の中にある「白く明るい死の床で」という一節が、人生に多いに影響したという馳。充実した人生だったからこそ、死の床でも白く明るいのだ気づいた時、一瞬も無駄にしない生き方を誓ったという。

 11年ぶりの復帰も、その全力の生き様を見せてくれるはずだ。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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