2017/5/28 11:54

安生の新日本時代の意外な役目!垣原が高田以上に一目置いたあの選手!ここでしか読めない!UWF戦士の裏・発言集!「証言UWF 最後の真実」未収録インタビュー!

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安生の新日本時代の意外な役目!垣原が高田以上に一目置いたあの選手!ここでしか読めない!UWF戦士の裏・発言集!「証言UWF 最後の真実」未収録インタビュー!
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8月14日、後楽園ホールで藤原喜明とスパーリングマッチ


5月25日、元UWF戦士で、今は悪性リンパ腫と戦う垣原賢人が、復帰会見を行った。詳しくはプロレス格闘技DXのニュース欄を見て欲しいが、公式会見後、筆者が垣原さんに伺ったところでは、今年の5月12日に、自らの兄貴分、前田日明に会ったことも大きかったようだ。というのは、5月12日と言えば、88年に第二次UWFが旗揚げした日付。「そこに運命的なものを感じた」と、垣原さんは語る。

本年、「UWF」を見つめなおす機運が高まっている。きっかけは柳沢健さんによる同団体を素材にした「1984年のUWF」(文藝春秋)。今月17日には、UWFに関係した17人を対象にしたインタビュー集「証言UWF 最後の真実」(宝島社)が上梓。垣原さんの復帰は勿論のこと、元UWFインターナショナルの取締役で、第二次UWFに厚き支援を行っていた鈴木健さんも、先日お会いしたところ、「俺も何か書こうかなあ!」と意欲満々であった。

そこで今回は、手前味噌で恐縮だが、筆者も微力ながら参画したインタビュー集「証言UWF 最後の真実」で、誌面からはカットされた発言を中心にお届けしてみたい。ここでしか読めない!と言うと都合が良すぎるかもだが、同団体、そして所属した選手たちの魅力を改めて知る手立てになれば幸いだ。


マスコミでも、70年代生まれに多い、U信者


もともとこの「証言UWF 最後の真実」が発刊された経緯は、ざっくりと言えば同社(宝島社)に前田日明ファンの編集者がいたこと(それも数名)。実は今回と同じ編集者の指揮のもと、07年には「U.W.F.伝説」というムックが発売されている。同ムックにも筆者は参加させて頂いたのだが、「第一次UWFが84年旗揚げで85年活動停止。第二次UWFが88年旗揚げで、91年解散……。07年だと、『~から何周年!』みたいな、数字的な打ち出しが全く出来ませんね(苦笑)」と会話したのをよく覚えている。本年17年発売の同書にあたり、(また下一桁が7年の年か!)と、過去の記憶もよみがえって来たものである。

有能なライター、及び、関係者様の尽力のもと、UWF出身の選手には(同書に載らなかった方も含め、)熱く声をかけさせて頂いたが、取材日程まで決まっていたのに、結局登場あたわずだったのが木戸修さん。取材嫌いな部分のある方ではあるが、残念だった。(木戸さんサイドによる、直前キャンセルという形。) また、特に何人かの選手にインタビューの機会を得ることに関しては、それこそ前出の鈴木健さんが大変な骨を折ってくれたことに、改めて深く感謝致したい。

筆者は安生洋二さんと垣原賢人さんを担当したのだが、先ず、安生さんの“裏”発言集から行ってみよう。

▼UWF入門と、目指したレスラー像について
安生「(第一次)UWFに入門したくて、布団をバイクに乗せて道場に出向いたんです。自己プロデュースですよ。僕は目立った実績があるわけでもないし、体も大きくはなかったから。せめて、『俺はどこでも寝られるぞ』というアピール。そしたら、あっさりと練習を許可してくれまして。なかなかいないパターンだと思いますよ。ところが、ずっと、正式な所属ではないままで。一緒に練習始めて3ヶ月くらいかなあ?ちゃんこ食っていたら藤原さんが、『ところでコイツ、誰が入門を許可したんだ?』と。前田さんは『藤原さんだと思っていました』、高田さんは、『前田さんだと思ってました』と。そこでようやく、僕の入門が許可されたんです。

レスラーとしては、木戸さんみたいな職人タイプに憧れていたんです。地味でも、強ければ、誰にも文句を言われない。木戸さんが若い時いじめられたって、聞いたことがないでしょう?(笑)」

▼第一次UWFにお金を出していた豊田商事系列の新聞社「海外タイムス」について
安生「うさん臭い感じはあったかなあ?『UWF専用の、常設会場を作る』なんて言ってましたしね。『海外タイムス』って新聞、ありましたねえ。……えっ?見たことないですか?上質な紙を使ってて、男性欄とプロレス欄が極めて多い、ナイタイスポーツの印象でした」

▼第一次UWF解散と、新日本提携時代
安生「藤原さんが『(第一次)UWF辞めたら、焼鳥屋でもやるか?』ってよく宣言していたから。『その時はお願いします』と僕は言っていたんですが、結局、新日本と提携することに。

新日本の練習にも参加させて頂きました。ブラック・キャットさんからドロップキックの打ち方を学んだり。新日本よりUWFの方が強いとか、そういうのは感じなかった。みんな極め合いは強かったですよ。武藤さんしかり、橋本さんしかり。蝶野?……覚えてないなあ。

あと、子供の頃の海外暮らしで、下手に英語が出来たおかげで、外国人選手の通訳を頼まれたりしてね。会場入りすると、UWFより、外人サイドの控え室にいる方が多かった。だから、新日本のフロントにも、好かれていたんじゃないですかね?

外国人の思い出?スティーブ・ウィリアムスとかバーベルの上げる重さが半端なくて。怪力ってあのことですよ。だから僕は、よりテクニックに磨きをかけることになったんですけれど。新生UWFでも、ノーマン・スマイリーっていましたよね。彼なんて、それこそ力でなく、柔軟性のあるタイプ。印象?テニスがやたらと上手かった。今、振り返るとそれだけなんですけど(笑)」

▼自身と好勝負を繰り広げた船木誠勝について
安生「新日本に上がっていた時から、手が合うなあと感じていましたから。天才少年というか、『将来、上に行くな』とも思ったし。結局、センスというか、肌感覚が合ったんでしょうね。ちなみに、かみ合わないなあと思ったのは、中野(龍雄)さんなんですけど(苦笑)。戦い方に関する感覚が違うんでしょうね」


「UWFインターに移籍したのは、やっぱり『UWF』の3文字があったからなんですよね」(垣原)


続いて垣原さんの〝裏〞発言集。

▼憧れたレスラー像について
垣原「越中選手と抗争していた時の高田さん。憧れでした。でも、僕も00年代、新日本に上がってみて分かったんですけど、あの高田さんの蹴りをノーガードで受けていた越中さんは、さらに凄いんじゃないかって。キャリアを重ねると、それに気づかされましたね。前田さんの蹴りを受けていた藤波さんしかり。因みに越中さんのヒップアタック、本当に利くんですよ。鉄でも入ってるのかというくらい」

▼第二次UWF道場への入門について
垣原「住所が『世田谷区大蔵』としてしか明かされてなかったので、上京してその辺をしらみ潰しに歩き回りました。『確か写真に、土手みたいのも映っていたよな』みたく思い出しながら。割とすぐ見つかりましたね。ええ、野生の勘みたいなもんです(笑)」

▼苦しかった酒席
垣原「関係者のパーティーで、大相撲に優勝したかのような大サカズキでいきなり日本酒を何杯を飲まされまして。それが初体験の飲酒だったんですが、翌日から妙に寒気がするんですよ。汗も普段と違う、冷や汗みたいな感じで。嘔吐は止まらないし。1週間くらいそれが続いたんですが、今、考えると、急性アルコール中毒だったんですね。よく生きてたなあ、と」

▼鈴木みのる
垣原「鈴木さんには随分、“可愛がられ”ましてね(苦笑)。でも、僕が引退する時、手紙をくれましてね。決して長くはなかったけれど、本当に優しさのこもった手紙で、今でも大切にとってあります。内容?それは内緒で(笑)」


……未だ信奉者の多いUWF。おそらく、10年後も20年後も、やはり伝説として話題になることだろう。理想を追い求めた若者の生き様は、時代を超えても眩しい。プロレス界に一石を投じた彼らを文字であれ追体験することが、往時に思いを馳せるきっかけになれば幸いである。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • グラウンド使うレスラーが少なくなったのも寂しいですね
    最近の開始早々のグラウンド外し合いの攻防もまたかよって思うぐらい誰でもやるようになっちゃったしどうなんかね
    プロレスで本当の力関係を確かめるのにグラウンドテクニックは見せた方がいいと思うけどなぁ 主観的だけど

    ID:4008794 [通報]
    (2017/6/3 18:15)
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