2016/2/1 19:24

いつの間にか日本人に愛されていたブライアン・ジョンストンという男【ぼくらのプロレス物語】

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いつの間にか日本人に愛されていたブライアン・ジョンストンという男【ぼくらのプロレス物語】
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あなたはブライアン・ジョンストンというプロレスラーをご存知ですか?

今はリングに上がっていないが、かつて1990年代後半から2001年まで新日本プロレスの常連外国人レスラーとして活躍していた。

元々ブライアンの名が世に知れ渡ったのは初期のUFCだった。この頃のUFCはまだ「ノー・ホールズ・バード(NHB/何でもアリ」と呼ばれトーナメント戦をメインとしていた格闘技。あのオクタゴンで柔道技の大外刈りを決めたフリーファイターとしてブライアンは名を馳せた。ボクシング、レスリング、柔道、キックボクシングと数々の格闘歴を持つブライアン。だが、UFCではベスト4止まりに終わり、実績を作り事は出来なかった。

1997年9月23日、新日本プロレス・日本武道館大会。
ブライアンは当時、柔道界からプロレスに転向していた小川直也の異種格闘技戦の対戦相手として初来日を果たした。
ブライアンは右ストレートで小川からダウンを奪い、小川を追い込むも最後は小川のスリーパーに敗れた。

その後、アルティメット王ドン・フライと共闘し、新日本勢と敵対していくブライアン。
だが、ブライアンは1998年12月にフライと仲間割れしたことをきっかけに新日本隊のメンバーとなった。

新日本隊のメンバーとなったブライアンはいつの間に、日本人選手達に打ち解け、ファンにも愛されるようになった。

2000年4月に結成された中西学、永田裕志、吉江豊、福田雅一の新ユニットG-EGGS。だが、メンバーの一人の福田がリング渦に巻き込まれた急死。福田の代わりにメンバー入りしたのがブライアンだった。

そこに何の違和感もなかったことが実は凄いことである。

「自分は親日家」だとアピールして、日本人レスラーや日本のファンに媚を売るような形で人気を得たり、打ち解けたりする外国人レスラーはいるが、そのアピールをすることなく、スッと日本人レスラーと日本のファンの心に入り込めた外国人レスラーは実は過去のプロレス史でもなかなかいない。

格闘技スタイルがメインで、決してプロレスが上手いわけではない。誇れるようなタイトルを獲得した訳ではない。それでも一生懸命プロレスを覚えようとするブライアンの人柄と姿勢に皆、心を打たれたのかもしれない。

プロレスは上手ければいいに越したことはないが、下手でも愛されるプロレスラーがいるのもまた事実なのだ。

新日本選手達に総合のスキルをスパーリングで伝授したのはブライアンだった。

2000年、新日本プロレスを退団し、総合格闘技PRIDEに参戦した藤田和之。彼が世界的に名を上げた"霊長類ヒト科最強の男"マーク・ケアーとの試合。ケアーを圧倒し判定勝ちした藤田を誇らしげに抱えていたのはブライアンだった。

2001年6月の藤田和之VS永田裕志のIWGP戦。
互いにオープン・フィンガーグローブで殴り合った異色の格闘プロレスが展開され、総合仕込みのグラウンド状態でのヒザ蹴りに永田を失神させた藤田。

試合後、藤田と永田の手を上げて健闘を称えていたのは誰あろうブライアンだった。
ブライアンはこの試合にはニュートラルコーナーで中立な立場で見つめていた。
藤田も永田もブライアンにとってはかけがえのない盟友だった。
緊張感に包まれていたこの一戦がノーサイドに終わったのも、ブライアンだからこそ成し遂げられた光景だったのかもしれない。

2001年8月19日、K-1さいたまスーパーアリーナ大会で猪木軍VSK-1の対抗戦が行われていた。
藤田和之のタックルにミルコ・クロコップのヒザ蹴りでカットさせ、藤田は大流血に追い込まれドクターストップに追い込まれたあの日。

ブライアンは藤田のセコンドについていた。
だが、試合途中からどうもブライアンの様子がおかしい。

試合後、別の選手がブライアンの異常に気が付いた。
慌ててブライアンは病院に搬送された。
ブライアンはこの日、試合途中から脳卒中を発症していたのだ。
一時は命の失いかもしれないという話まで飛び出したほどの重症だった。

それでもブライアンは一命を取り留めた。
ブライアンは2001年8月以後、リングに上がることはなかった。

脳卒中はブライアンの人生を大きく変えた。

「この種類の脳卒中では9割の人が1年以内に死んでしまうらしい。残り1割の人も、自分ではほとんど何もできなくなるらしい。私のリハビリも、ほとんど何もできない状態からスタートした。発症後4か月間、私にできたことといえば、腕を少し動かすことだけだった」
(dropkick/MMAあの人はいま――ブライアン・ジョンストンとロジャー・フエルタ■MMA Unleashed)

感情の起伏が激しくなり、号泣する毎日。自分一人では何もできず、身体のバランスはバラバラになった。感情表現ができなくなった。

それでもブライアンは…。

「いまでは何とか逆境に打ち勝ち、娘のためにと思って気持ちを強く持って過ごしている。ファイターだった頃に比べても、いまの自分は100倍も1000倍もタフになったよ」
(dropkick/MMAあの人はいま――ブライアン・ジョンストンとロジャー・フエルタ■MMA Unleashed)

作家の内館牧子氏はブライアンはこう評している。

「ブライアン・ジョンストンは美しい。彼は『ガイジン』のイメージを根底から覆した。(中略) ジョンストンを初めて見た日、『こんなに上品な雰囲気の外国人選手がいるんだ…』と思った。もの静かでつぶらな瞳、均整のとれた美しい肢体、加えて知的な香りのするジョンストンは私にとって衝撃のガイジンだった。(中略)過去、いくら親日派をアピールするレスラーはいても、私はどこかに外国人という意識があった。それが大仰なアピールをせず、淡々としているブライアンが誰よりも意識の国境を取り払ったのだ。(中略)彼は彼自身が考えているよりも、はるかにはるかに日本人に愛されていると思う」
(プロレスラー美男子列伝/内館牧子 著)

いつも間にか日本人に愛されていた男ブライアン・ジョンストン。
彼のレスラー人生は新日本参戦からカウントしても4年にも満たない。
それでもブライアンの歩みは素晴らしく、評価に値するものだった。
プロレスは技術も大切だが、やはりハートなのだ。
人間性が出るのがプロレスなのだ。

ブライアン・ジョンストンは文字通り、記録より記憶に残るプロレスラーだった。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

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  • 別に愛されてなかったし、違和感はあった。

    ID:40697 [通報]
    (2016/2/3 11:12)
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  • いま、どうしてるんでしょうね?

    ID:486277 [通報]
    (2016/2/4 15:46)
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  • 「違和感があった」とか言っている人に違和感感じるわ。

    ID:519399 [通報]
    (2016/2/13 14:03)
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  • “ブライアンは無頼漢に非ず”

    週プロかTV実況で言ってたよね。

    ID:1283740 [通報]
    (2016/12/26 7:47)
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